2022年12月23日 記事掲載
埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。
黄金色に実る種子小麦
縄文や古墳時代の遺跡が多数見つかっていることから、古代から連綿と人々の営みがあったことが伺える。
中世、1582(天正10)年には、神流川を舞台とした神流川合戦の記録が残されている。織田信長の家臣、上野厩橋城主滝川一益と鉢形城主北条氏邦・小田原城主北条氏直連合軍との戦いは、別名「金窪原の戦い」とも言われ、金久保周辺で激しい戦いが繰り広げられた。合戦は、北条軍が勝利した。
近世に入ると中山道が整備され、神流川を越えるための渡し場も造られた。渡し場のたもとには旅人の目印と安全祈願に燈籠が建立された。この燈籠は「見透燈籠」(町指定有形文化財)と呼ばれ、現在は勅使河原地区にある大光寺に移転されている。
1883(明治16)年、新町(群馬県)まで高崎線が開通すると、97(明治30)年には神保原駅が開業した。さらに、1934(昭和9)年には神流川橋も開通したことで交通の利便性が増し、近代化を遂げていった。54(昭和29)年に七本木村、神保原村、長幡村、賀美村の4村が合併した後、71(昭和46)年に町制施行された。昨年、施行50周年を迎えた。
神流川合戦絵巻
たわわに実る梨
野菜、米麦、畜産、果樹、花きなど、バランス良く市場に供給される県内有数の営農地帯。中でも、種子小麦は全国有数の産地となっており、白菜も県内トップクラスの生産量を誇る。特産の「上里梨」の歴史は古く、江戸時代後期から生産が始まった。定番の幸水や豊水をはじめ、埼玉県オリジナル品種の彩玉、年末年始に販売されれる超大玉品種の愛宕など、夏から冬にかけて10を超える品種が栽培される県内有数の梨の産地。収穫期には多くの生産者が直売所を開設している。
工業は、隣接市町にまたがる工業団地が中心。商業は大型商業施設が複数立地するなど、安定した雇用の場となっている。
泪橋跡
中山道の道沿いや周辺には、中山道道標を皮切りに、ゆかりの名所・旧跡が数多く残されている。道沿いにひっそりとたたずむ泪橋跡碑は、かつての石橋の欄干の一部で、公用の荷物を運ぶ伝馬制度に従事した人々が苦役に涙した橋と伝わっている。神流川橋の手前には一里塚跡もあり、日本橋から23番目の一里塚と天王社が建つ。
中山道標柱
一里塚跡碑
県最北端に位置する。東西南北にバランスのとれた地形で寒暖差が少なく、温暖な土地柄だが、冬から春先にかけては冷たく乾燥した北西風が吹きつけ、北西側に風を防ぐ屋敷林を設ける家も多い。北部を流れる烏川、西部を流れる神流川を境に群馬県と隣接している。JR高崎線をはじめ、関越自動車道、国道17号など交通網も充実している。
雄大な景色が望める烏川
このはなパーク上里
関越自動車道「上里サービスエリア」の周辺地区を、町の中心的な観光拠点として整備を進めてきた。2015(平成27)年には上里スマートインターチェンジが開通し、利便性が向上。17(平成29)年には、公募によりこの地区の愛称が「このはなパーク上里」に決定すると、昨年には憩いの空間として「このはな芝生広場」が設けられた。現在では、和・洋菓子や新鮮な農産物などが購入できるほか、季節になると多品種のいちご狩りも体験できるとあって、年間約100万人が来場する。今後も、訪れた人たちが楽しめるような体験事業などの計画を進めていく。
日本人初の海外飛行をした女性飛行士の西﨑キク(1912~79年)は、七本木村の出身。神保原小学校の教員を経て1932(昭和7)年、安藤飛行機研究所(愛知県)で本格的な飛行訓練を積み、翌年、二等飛行操縦士免許を得て、日本女性最初の水上飛行機操縦士となった。34(昭和9)年、満州(現在の中国)へ飛び立ち、日本人女性として初の海外飛行を成し遂げた。後年は古里に戻り、再び教員の職に就いた。以後、開拓農家としても活躍する中、上里町教育委員会社会教育指導員として、町のために尽力した。
西﨑キク
神保原駅北口
整備事業に力を入れ、「神保原駅北まちづくり基本計画」の策定を進めている。2021(令和3)年には、地域住民や関係団体らで構成する神保原駅北まちづくり協議会が発足した。より暮らしやすいまちづくりの実現を目指し、官民一体となって連携・協力を図っている。
今年12月には、13(平成25)年に開始した橋の架け替え工事が終了し、国道17号本庄道路神流川橋が開通した。今後、本庄道路の整備が進むことで、交通渋滞の緩和が期待され、災害時などには緊急輸送道路としても活用される重要な役割を担う。
町への定住促進として、子育てサポート事業を進め、子育てしやすい環境整備にも力を注いでいる。情報サイトやアプリでの情報を発信し、子育て支援拠点の充実により、悩みや不安の相談や、子育て世代の交流の場を提供している。小中学生へのきめ細かな教育支援も実施することで、出産から就学時まで、切れ目のない支援を実践していく。
人口 | 30,634人(令和4年12月1日現在) |
---|---|
世帯数 | 13,314(令和4年12月1日現在) |
面積 | 29.18㎢ |
総生産額 | 1027億2700万円(令和元年度) |
取材協力:上里町
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2022年12月23日 記事掲載
埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。
黄金色に実る種子小麦
縄文や古墳時代の遺跡が多数見つかっていることから、古代から連綿と人々の営みがあったことが伺える。
中世、1582(天正10)年には、神流川を舞台とした神流川合戦の記録が残されている。織田信長の家臣、上野厩橋城主滝川一益と鉢形城主北条氏邦・小田原城主北条氏直連合軍との戦いは、別名「金窪原の戦い」とも言われ、金久保周辺で激しい戦いが繰り広げられた。合戦は、北条軍が勝利した。
近世に入ると中山道が整備され、神流川を越えるための渡し場も造られた。渡し場のたもとには旅人の目印と安全祈願に燈籠が建立された。この燈籠は「見透燈籠」(町指定有形文化財)と呼ばれ、現在は勅使河原地区にある大光寺に移転されている。
1883(明治16)年、新町(群馬県)まで高崎線が開通すると、97(明治30)年には神保原駅が開業した。さらに、1934(昭和9)年には神流川橋も開通したことで交通の利便性が増し、近代化を遂げていった。54(昭和29)年に七本木村、神保原村、長幡村、賀美村の4村が合併した後、71(昭和46)年に町制施行された。昨年、施行50周年を迎えた。
神流川合戦絵巻
泪橋跡
野菜、米麦、畜産、果樹、花きなど、バランス良く市場に供給される県内有数の営農地帯。中でも、種子小麦は全国有数の産地となっており、白菜も県内トップクラスの生産量を誇る。特産の「上里梨」の歴史は古く、江戸時代後期から生産が始まった。定番の幸水や豊水をはじめ、埼玉県オリジナル品種の彩玉、年末年始に販売されれる超大玉品種の愛宕など、夏から冬にかけて10を超える品種が栽培される県内有数の梨の産地。収穫期には多くの生産者が直売所を開設している。
工業は、隣接市町にまたがる工業団地が中心。商業は大型商業施設が複数立地するなど、安定した雇用の場となっている。
泪橋跡
中山道の道沿いや周辺には、中山道道標を皮切りに、ゆかりの名所・旧跡が数多く残されている。道沿いにひっそりとたたずむ泪橋跡碑は、かつての石橋の欄干の一部で、公用の荷物を運ぶ伝馬制度に従事した人々が苦役に涙した橋と伝わっている。神流川橋の手前には一里塚跡もあり、日本橋から23番目の一里塚と天王社が建つ。
中山道標柱
一里塚跡碑
県最北端に位置する。東西南北にバランスのとれた地形で寒暖差が少なく、温暖な土地柄だが、冬から春先にかけては冷たく乾燥した北西風が吹きつけ、北西側に風を防ぐ屋敷林を設ける家も多い。北部を流れる烏川、西部を流れる神流川を境に群馬県と隣接している。JR高崎線をはじめ、関越自動車道、国道17号など交通網も充実している。
雄大な景色が望める烏川
このはなパーク上里
関越自動車道「上里サービスエリア」の周辺地区を、町の中心的な観光拠点として整備を進めてきた。2015(平成27)年には上里スマートインターチェンジが開通し、利便性が向上。17(平成29)年には、公募によりこの地区の愛称が「このはなパーク上里」に決定すると、昨年には憩いの空間として「このはな芝生広場」が設けられた。現在では、和・洋菓子や新鮮な農産物などが購入できるほか、季節になると多品種のいちご狩りも体験できるとあって、年間約100万人が来場する。今後も、訪れた人たちが楽しめるような体験事業などの計画を進めていく。
日本人初の海外飛行をした女性飛行士の西﨑キク(1912~79年)は、七本木村の出身。神保原小学校の教員を経て1932(昭和7)年、安藤飛行機研究所(愛知県)で本格的な飛行訓練を積み、翌年、二等飛行操縦士免許を得て、日本女性最初の水上飛行機操縦士となった。34(昭和9)年、満州(現在の中国)へ飛び立ち、日本人女性として初の海外飛行を成し遂げた。後年は古里に戻り、再び教員の職に就いた。以後、開拓農家としても活躍する中、上里町教育委員会社会教育指導員として、町のために尽力した。
西﨑キク
神保原駅北口
整備事業に力を入れ、「神保原駅北まちづくり基本計画」の策定を進めている。2021(令和3)年には、地域住民や関係団体らで構成する神保原駅北まちづくり協議会が発足した。より暮らしやすいまちづくりの実現を目指し、官民一体となって連携・協力を図っている。
今年12月には、13(平成25)年に開始した橋の架け替え工事が終了し、国道17号本庄道路神流川橋が開通した。今後、本庄道路の整備が進むことで、交通渋滞の緩和が期待され、災害時などには緊急輸送道路としても活用される重要な役割を担う。
町への定住促進として、子育てサポート事業を進め、子育てしやすい環境整備にも力を注いでいる。情報サイトやアプリでの情報を発信し、子育て支援拠点の充実により、悩みや不安の相談や、子育て世代の交流の場を提供している。小中学生へのきめ細かな教育支援も実施することで、出産から就学時まで、切れ目のない支援を実践していく。
人口 | 30,634人(令和4年12月1日現在) |
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世帯数 | 13,314(令和4年12月1日現在) |
面積 | 29.18㎢ |
総生産額 | 1027億2700万円(令和元年度) |
取材協力:上里町