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2022年11月25日 記事掲載

埼北市町村ガイド

埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。

Vol.20 神川町

冬桜と紅葉のコントラスト

縄文や古墳時代の遺跡が多数見つかっていることから、古代から多くの人で栄えたことが伺える。平安時代には、都に馬を献上するための生産地・阿久原牧があった。平安時代後期から鎌倉・室町時代にかけては、武士団・武蔵七党の丹党に属する安保氏(または阿保氏と表記)が拠点を築き、勢力を伸ばした。元阿保地区には館跡(町指定史跡)があり、外堀と内堀の一部や井戸跡などが見つかっている。近代になると養蚕業や製糸業が盛んとなり、日本の蚕糸業に大きく貢献した木村九蔵など優れた養蚕改良家も輩出した。

1954(昭和29)年、丹荘村と青柳村が合併して神川村が誕生。57(昭和32)年に渡瀬村を編入し、87(昭和62)年に県内41番目の町として町制施行された。2006(平成18)年に神泉村と合併し、現在の神川町となった。


安保氏館跡

農業が盛んで、特産は梨。栽培開始は明治時代と古く、現在でも40を超える生産者が従事している。8月から11月にかけて、国道・県道沿いに直売所が開設され、販売される。もう一つの特産が、白やピンクの可憐な花を咲かせるキク科のクジャクソウ(正式名称・宿根アスター)で、1973(昭和48)年頃から新里地区で栽培が始まった。生産高日本一を誇り、年間を通して出荷している。

工場団地の造成などで企業誘致にも力を入れてきた。町内には現在うめみの・児玉の2か所の工業団地があり、安定的な雇用の場となっている。

クジャクソウ

蚕を育てる子どもたち

明治以降、蚕の画期的な飼育法を確立した木村九蔵の登場で、養蚕が急激に発展した。技術伝習の場とした組織は、いく度かの名称変更を経た後、現在の児玉白楊高校へと姿を変えた。養蚕文化は、地域の小学校で継承されている。蚕のえさである桑の葉や実が校章にデザインされている神川町立青柳小学校では毎年、児童が蚕の飼育や生糸取りを体験している。まゆ玉で作るコサージュは、卒業式で卒業生の胸元を飾るのが伝統となっている。

下阿久原地区では、一風変わった伝統文化も継承されている。武蔵七党・児玉党の祖先を祭るといわれる有氏神社では、毎年11月19日、盤台祭りが開催される。はだか祭りとも呼ばれ、ふんどし姿の男衆が、赤飯入りの盤台を持ち、赤飯を四方にまいていく。この赤飯を食べると、厄払いや安産のご利益があるといわれる。

県北西部に位置する。南北に長く、南部は山地、北部は神流川により形成された扇状地が広がる。神流川を挟み、群馬県藤岡市に接している。JR八高線丹荘駅周辺が町の中心部となり、周辺には町役場も建つ。

自然豊かで緑が多く、晩秋に咲く冬桜は見事。水源も豊かで、国の名勝・国指定天然記念物でもある三波石峡も見られる。

三波石峡

神流湖の雄大な景色

町の観光の中心地・城峯公園は、春のヤマツツジを始め、四季折々の自然が魅力。10月中旬から12月上旬に花を咲かせる冬桜は、同時期に公園を彩る紅葉とのコントラストが見事。夜には恒例となっているライトアップに照らされ、冬桜のピンクと紅葉の深紅が幻想的な雰囲気を醸し出す。公園からは、近接する下久保ダムのダム湖・神流湖の雄大な景色が見渡せる。この下久保ダムから登仙橋までの約1.3㎞の峡谷は三波石峡と呼ばれる。緑、黄、白が織りなす結晶片岩・三波石の巨岩・奇岩と木々による景観は、国の名勝に指定されている。

町に多数ある文化財も、観光の目玉になっている。中でも、町の総鎮守・金鑚神社には、多宝塔(国指定重要文化財)や御嶽の鏡岩(国指定特別天然記念物)があるほか、境内奥から進める御嶽山はハイキングスポットとしても親しまれている。

夏から秋にかけて、国道や県道沿いでは名産の梨が売り出され、買い求める人でにぎわう。

養蚕改良家として日本の蚕糸業を発展させた木村九蔵(1845~98年)は群馬県藤岡市出身。23歳で旧新宿村に移り住み、当時では画期的な飼育法「温暖飼育法」を発明した。1877(明治10)年には、養蚕業の改良に努めるため、養蚕改良競進組を組織。九蔵の死後、99(明治32)年には、技術伝習の場として競進社蚕業学校と名を変え、これが現在の児玉白楊高校の前身となっている。

旧渡瀬村出身の原善三郎(1827~99年)は、生糸貿易で財を築くと、横浜に拠点を移す。衆議院議員や第二国立銀行頭取、横浜商業会議所会頭などを歴任した。町内には、92(明治25)年に設立した原製糸所(現日本マイカ製作所)が残っている。

木村九蔵

 

子育てアプリの画面

子育て支援を第一に考え、未来につなぐまちづくりを進めている。子育て支援先進国フィンランドの制度を参考にした「神川版ネウボラ」(ネウボラ=フィンランド語でアドバイスの意)を2013(平成30)年から開始。育児パッケージや育児相談など、出産から就学まで、保健師が中心となって切れ目なく寄り添った支援を実践している。今年8月からは、子育て支援アプリを導入。アプリを使った予防接種のスケジュール管理や、町からの情報を受け取ることができる。

施設整備も着々と進めている。19(令和元)年には、防災拠点としての機能も併せ持った役場新庁舎がオープンした。老朽化の進んだ神泉支所は、新たに多目的交流施設の敷地内に建設中で、今年度中の完成を目指す。支所機能とともにイベントインフラを整えることで、町内外の交流拠点となることを期待している。

生まれ変わる神泉支所(イメージ)

神川町のデータ

人口 13,150人(令和4年11月1日現在)
世帯数 5,876(令和4年11月1日現在)
面積 47.40㎢
総生産額 532億8400万円(令和元年度)

取材協力:神川町

神川町地図

Copyright © saihokuyomiuri.

埼北よみうり新聞

2022年12月23日 記事掲載

埼北市町村ガイド

20.神川町

Vol.20 神川町

冬桜と紅葉のコントラスト

縄文や古墳時代の遺跡が多数見つかっていることから、古代から多くの人で栄えたことが伺える。平安時代には、都に馬を献上するための生産地・阿久原牧があった。平安時代後期から鎌倉・室町時代にかけては、武士団・武蔵七党の丹党に属する安保氏(または阿保氏と表記)が拠点を築き、勢力を伸ばした。元阿保地区には館跡(町指定史跡)があり、外堀と内堀の一部や井戸跡などが見つかっている。近代になると養蚕業や製糸業が盛んとなり、日本の蚕糸業に大きく貢献した木村九蔵など優れた養蚕改良家も輩出した。

1954(昭和29)年、丹荘村と青柳村が合併して神川村が誕生。57(昭和32)年に渡瀬村を編入し、87(昭和62)年に県内41番目の町として町制施行された。2006(平成18)年に神泉村と合併し、現在の神川町となった。


安保氏館跡

農業が盛んで、特産は梨。栽培開始は明治時代と古く、現在でも40を超える生産者が従事している。8月から11月にかけて、国道・県道沿いに直売所が開設され、販売される。もう一つの特産が、白やピンクの可憐な花を咲かせるキク科のクジャクソウ(正式名称・宿根アスター)で、1973(昭和48)年頃から新里地区で栽培が始まった。生産高日本一を誇り、年間を通して出荷している。

工場団地の造成などで企業誘致にも力を入れてきた。町内には現在うめみの・児玉の2か所の工業団地があり、安定的な雇用の場となっている。

クジャクソウ

蚕を育てる子どもたち

明治以降、蚕の画期的な飼育法を確立した木村九蔵の登場で、養蚕が急激に発展した。技術伝習の場とした組織は、いく度かの名称変更を経た後、現在の児玉白楊高校へと姿を変えた。養蚕文化は、地域の小学校で継承されている。蚕のえさである桑の葉や実が校章にデザインされている神川町立青柳小学校では毎年、児童が蚕の飼育や生糸取りを体験している。まゆ玉で作るコサージュは、卒業式で卒業生の胸元を飾るのが伝統となっている。

下阿久原地区では、一風変わった伝統文化も継承されている。武蔵七党・児玉党の祖先を祭るといわれる有氏神社では、毎年11月19日、盤台祭りが開催される。はだか祭りとも呼ばれ、ふんどし姿の男衆が、赤飯入りの盤台を持ち、赤飯を四方にまいていく。この赤飯を食べると、厄払いや安産のご利益があるといわれる。

県北西部に位置する。南北に長く、南部は山地、北部は神流川により形成された扇状地が広がる。神流川を挟み、群馬県藤岡市に接している。JR八高線丹荘駅周辺が町の中心部となり、周辺には町役場も建つ。

自然豊かで緑が多く、晩秋に咲く冬桜は見事。水源も豊かで、国の名勝・国指定天然記念物でもある三波石峡も見られる。

三波石峡

神流湖の雄大な景色

町の観光の中心地・城峯公園は、春のヤマツツジを始め、四季折々の自然が魅力。10月中旬から12月上旬に花を咲かせる冬桜は、同時期に公園を彩る紅葉とのコントラストが見事。夜には恒例となっているライトアップに照らされ、冬桜のピンクと紅葉の深紅が幻想的な雰囲気を醸し出す。公園からは、近接する下久保ダムのダム湖・神流湖の雄大な景色が見渡せる。この下久保ダムから登仙橋までの約1.3㎞の峡谷は三波石峡と呼ばれる。緑、黄、白が織りなす結晶片岩・三波石の巨岩・奇岩と木々による景観は、国の名勝に指定されている。

町に多数ある文化財も、観光の目玉になっている。中でも、町の総鎮守・金鑚神社には、多宝塔(国指定重要文化財)や御嶽の鏡岩(国指定特別天然記念物)があるほか、境内奥から進める御嶽山はハイキングスポットとしても親しまれている。

夏から秋にかけて、国道や県道沿いでは名産の梨が売り出され、買い求める人でにぎわう。

養蚕改良家として日本の蚕糸業を発展させた木村九蔵(1845~98年)は群馬県藤岡市出身。23歳で旧新宿村に移り住み、当時では画期的な飼育法「温暖飼育法」を発明した。1877(明治10)年には、養蚕業の改良に努めるため、養蚕改良競進組を組織。九蔵の死後、99(明治32)年には、技術伝習の場として競進社蚕業学校と名を変え、これが現在の児玉白楊高校の前身となっている。

旧渡瀬村出身の原善三郎(1827~99年)は、生糸貿易で財を築くと、横浜に拠点を移す。衆議院議員や第二国立銀行頭取、横浜商業会議所会頭などを歴任した。町内には、92(明治25)年に設立した原製糸所(現日本マイカ製作所)が残っている。

木村九蔵

子育てアプリの画面

子育て支援を第一に考え、未来につなぐまちづくりを進めている。子育て支援先進国フィンランドの制度を参考にした「神川版ネウボラ」(ネウボラ=フィンランド語でアドバイスの意)を2013(平成30)年から開始。育児パッケージや育児相談など、出産から就学まで、保健師が中心となって切れ目なく寄り添った支援を実践している。今年8月からは、子育て支援アプリを導入。アプリを使った予防接種のスケジュール管理や、町からの情報を受け取ることができる。

施設整備も着々と進めている。19(令和元)年には、防災拠点としての機能も併せ持った役場新庁舎がオープンした。老朽化の進んだ神泉支所は、新たに多目的交流施設の敷地内に建設中で、今年度中の完成を目指す。支所機能とともにイベントインフラを整えることで、町内外の交流拠点となることを期待している。

生まれ変わる神泉支所(イメージ)

神川町のデータ

上里町地図
人口 13,150人(令和4年11月1日現在)
世帯数 5,876(令和4年11月1日現在)
面積 47.40㎢
総生産額 532億8400万円(令和元年度)

取材協力:神川町