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2021年7月27日 記事掲載

埼北市町村ガイド

埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。

Vol.6 深谷市

渋沢栄一アンドロイド

80歳の頃を再現した「渋沢栄一アンドロイド」(旧渋沢邸「中の家」)

荒川の菅沼河原、1,200万年ほど前の地層から大型ザメの歯化石が発見され、当時の深谷市域は海の底であったとうかがわれる。人類の足跡として最も古いものは、幡羅遺跡(東方)や花小路遺跡(西大沼)で出土した約2万年前のナイフ型石器で、その後の縄文時代、弥生時代を通じて人々の暮らした遺跡が発見されている。

 

645年の大化の改新で、朝廷の中央集権化が推し進められると現在の市内東側が幡羅郡の一部、西側が榛沢郡、荒川の南側は男衾郡の一部となった。2017年に、市内初の国指定史跡となった「幡羅官衙遺跡群」は、幡羅郡の役所跡と考えられている。平安時代末期には、畠山氏・岡部氏・榛澤氏・人見氏などの武士団が登場。中でも、川本地域の生まれと伝わる畠山重忠は鎌倉幕府の成立に貢献、智仁勇に秀で「武蔵武士の鑑」とうたわれた。

 

南北朝時代には、関東管領・山内上杉憲顕の六男・憲英が派遣され、深谷上杉氏となった。1456年には、深谷城が築かれたが、主家の山内上杉氏が没落すると北条氏の傘下に入った。その後、豊臣秀吉の小田原攻めで開城し、徳川家康の子や家臣が城主となったが1634年に廃城となった。

 

江戸時代には、城下町から中山道の宿場町へと姿を変え栄えた。岡部地域には、徳川譜代の家臣・安部摂津守が移封され岡部藩が立藩、明治維新まで存続した。花園・川本地域では、荒川の木材輸送などを通じて秩父往還が栄え、小前田、武川などに宿場が形成された。

 

明治時代には、「近代日本経済の父」と称される深谷出身の実業家・渋沢栄一らによって日本煉瓦製造会社が設立され、窯業・レンガ製造業の発達とともに発展した。

幡羅遺跡の立ち並ぶ正倉跡

幡羅遺跡の立ち並ぶ正倉跡

深谷は「関東の台所」ともいわれ、農業が盛んに営まれている。深谷の代表格ネギは、明治期から本格栽培が始まり、「深谷ねぎ」のブランドで全国に名をはせる。ほかにもブロッコリー・トウモロコシなどの野菜、ユリ・チューリップの切り花などの花き生産も全国トップクラスを誇る。

さらに明治期には、かねてより窯業が盛んだったことから、北部地域に日本煉瓦製造会社が設立された。1888(明治21)年に操業を開始し、日本初の機械式レンガ製造工場となった。深谷産のレンガは、東京駅・迎賓館・法務省旧本館などの西洋建築に用いられ、日本の近代化を大いに支えた。

「ガリガリ君」などのヒット商品で知られるアイスクリームメーカーの赤城乳業株式会社は市内発祥の企業。深谷工業団地、川本地域の春日丘工業団地などには多くの企業が進出している。中心市街地の商店街では、にぎわいを創出しようと様々なイベントが企画され、人々の活気にあふれている。

深谷ねぎ

全国的な知名度を誇る「深谷ねぎ」

レンガ造りの煙突

レンガ造りの煙突

深谷中心市街地には、明治期に国内初の機械式レンガ工場が設立されたことで、レンガ造りの店舗や蔵などが数多く建てられた。周辺を散策すれば、レンガ造りの煙突、1階がレンガで2階が木造土壁の倉庫、和風の町屋建築にレンガのうだつをあげた珍しい建物などに出会える。

1996年には、深谷駅がレンガ造りの東京駅を模した橋上駅舎に改装された。2020年に開庁した深谷市役所新庁舎は、外壁などにレンガがふんだんに使われている。さらに、中心市街地の建築物や外構工事にレンガやレンガ調タイルを使用する場合に補助金を交付するなど「レンガを活かしたまちづくり」を推進している。

深谷を代表する郷土料理といえば「煮ぼうとう」。小麦粉で打った幅広の麺と深谷ねぎなどの特産野菜をたっぷり煮込んで、しょう油で味付けした麺料理。小麦粉を容易に手に入れることができた土地柄、古くから地元で愛されてきた。渋沢栄一も好んで食べたと伝えられている。

煮ぼうとう

煮ぼうとう

県北西部に位置する深谷市の面積は、138.37㎢。北端は利根川に接し、南側には荒川が流れる。肥沃な土壌に恵まれ、野菜をはじめとする農畜産物の生産が盛んになっている。

東京駅を模した深谷駅の駅舎は市のシンボルで、市の中央部を東西に走る高崎線を境に、南側に櫛引台地、北側に妻沼低地、荒川南部には丘陵地帯に接する江南台地が広がっている。夏から秋にかけての降水が多く、冬には赤城おろしと呼ばれる強い北風が吹く。

深谷駅舎

深谷駅舎

深谷グリーンパーク

深谷グリーンパークのユリ

郷土の偉人・渋沢栄一は、2024年に刷新される新一万円札の肖像に決まった。さらに、栄一が主人公の大河ドラマ「青天を衝け」の放送もあり、ゆかりの地を訪ねる人で沸いている。渋沢栄一の遺墨や関連する史料・写真などを展示する渋沢栄一記念館、旧渋沢邸「中の家」には、生前の姿を再現したアンドロイドが設置された(「中の家」は12月26日までプレ公開中)。中心市街地には、大河ドラマ放送期間限定でドラマの世界を体感できる「渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館」がオープンした。

全国有数の花の産地であることにちなみ、市民と協働で花のまちづくりを進めている。「ガーデンシティふかや」を宣言し、「ふかや花フェスタ&オープンガーデンフェスタ」などのイベントも催される。特産のユリとチューリップをPRする大型花壇が造成される深谷グリーンパーク内には、北関東最大級の全天候型屋内プール「アクアパラダイスパティオ」を備え、家族連れに人気のスポットとなっている。

深谷七夕まつり、深谷まつりなどの伝統行事には、県外からの来訪も多い。

渋沢栄一は、幕末に血洗島村(現深谷市血洗島)の農家に生まれた。幼い頃から学問を学び、倒幕思想を抱いたこともあったが、のちの15代将軍・一橋 (徳川)慶喜に仕官し、幕臣としてパリ万博に派遣された。明治維新後には、欧州での見聞から新政府の官僚として近代国家設立に尽力。退官後は、実業界に転進し、第一国立銀行をはじめ約500社 の設立に関与した。社会福祉事業にも取り組み、児童養護施設や病院、 学校の設立・運営にも関わった。

渋沢栄一が幼少の頃に学問を習った尾高惇忠は、世界遺産となった富岡製糸場の初代場長となり、設立にあたって建築資材調達のまとめ役を担った韮塚直次郎と合わせて「ゆかりの三偉人」と称されている。

現代では、全国に出店するドトールコーヒーの鳥羽博道名誉会長、平昌パラリンピックで金メダルを含む5つのメダルを獲得した村岡桃佳選手、お笑いタレントのゴルゴ松本さんら各界で活躍する人物がいる。

渋沢栄一

渋沢栄一(深谷市所蔵)

 
花園IC拠点整備プロジェクトイメージ図

花園IC拠点整備プロジェクトイメージ図

新たな一万円札の顔として注目が高まった渋沢栄一に対する関心を一過性のものとせず、栄一が大切にしていた真心と思いやりの心を表す『忠恕』の精神を伝え、生誕の地を積極的にPRし、地域活性化につなげていきたいとしている。

農業分野では、先端技術を活用した革新的な農業「アグリテック(農業とテクノロジーを組み合わせた造語)」関連企業の集積に力を入れ、市内農家とのマッチングを図っていく。さらに、市内全体を「野菜が楽しめるテーマパーク」に見立て、深谷産の野菜を生かした観光モデルを確立しようと力を注いでいる。

「花園IC拠点整備プロジェクト」を推進し、2022年春には、野菜の魅力を体験できる「深谷テラス ヤサイな仲間たちファーム」が、同年秋には、「ふかや花園プレミアム・アウトレット」が開業を予定している。

深谷市のデータ

人口 142,414人(令和3年9月1日現在)
世帯数 61,229(令和3年9月1日現在)
面積 138.37㎢
総生産額 4,945億2535万円(平成30年度)

取材協力:深谷市

東松山市地図

Copyright © saihokuyomiuri.

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2021年9月24日 記事掲載

埼北市町村ガイド

Vol.6 深谷市

渋沢栄一アンドロイド

80歳の頃を再現した「渋沢栄一アンドロイド」(旧渋沢邸「中の家」)

荒川の菅沼河原、1,200万年ほど前の地層から大型ザメの歯化石が発見され、当時の深谷市域は海の底であったとうかがわれる。人類の足跡として最も古いものは、幡羅遺跡(東方)や花小路遺跡(西大沼)で出土した約2万年前のナイフ型石器で、その後の縄文時代、弥生時代を通じて人々の暮らした遺跡が発見されている。

 

645年の大化の改新で、朝廷の中央集権化が推し進められると現在の市内東側が幡羅郡の一部、西側が榛沢郡、荒川の南側は男衾郡の一部となった。2017年に、市内初の国指定史跡となった「幡羅官衙遺跡群」は、幡羅郡の役所跡と考えられている。平安時代末期には、畠山氏・岡部氏・榛澤氏・人見氏などの武士団が登場。中でも、川本地域の生まれと伝わる畠山重忠は鎌倉幕府の成立に貢献、智仁勇に秀で「武蔵武士の鑑」とうたわれた。

 

南北朝時代には、関東管領・山内上杉憲顕の六男・憲英が派遣され、深谷上杉氏となった。1456年には、深谷城が築かれたが、主家の山内上杉氏が没落すると北条氏の傘下に入った。その後、豊臣秀吉の小田原攻めで開城し、徳川家康の子や家臣が城主となったが1634年に廃城となった。

 

江戸時代には、城下町から中山道の宿場町へと姿を変え栄えた。岡部地域には、徳川譜代の家臣・安部摂津守が移封され岡部藩が立藩、明治維新まで存続した。花園・川本地域では、荒川の木材輸送などを通じて秩父往還が栄え、小前田、武川などに宿場が形成された。

 

明治時代には、「近代日本経済の父」と称される深谷出身の実業家・渋沢栄一らによって日本煉瓦製造会社が設立され、窯業・レンガ製造業の発達とともに発展した。

幡羅遺跡の立ち並ぶ正倉跡

幡羅遺跡の立ち並ぶ正倉跡

深谷は「関東の台所」ともいわれ、農業が盛んに営まれている。深谷の代表格ネギは、明治期から本格栽培が始まり、「深谷ねぎ」のブランドで全国に名をはせる。ほかにもブロッコリー・トウモロコシなどの野菜、ユリ・チューリップの切り花などの花き生産も全国トップクラスを誇る。

さらに明治期には、かねてより窯業が盛んだったことから、北部地域に日本煉瓦製造会社が設立された。1888(明治21)年に操業を開始し、日本初の機械式レンガ製造工場となった。深谷産のレンガは、東京駅・迎賓館・法務省旧本館などの西洋建築に用いられ、日本の近代化を大いに支えた。

「ガリガリ君」などのヒット商品で知られるアイスクリームメーカーの赤城乳業株式会社は市内発祥の企業。深谷工業団地、川本地域の春日丘工業団地などには多くの企業が進出している。中心市街地の商店街では、にぎわいを創出しようと様々なイベントが企画され、人々の活気にあふれている。

深谷ねぎ

全国的な知名度を誇る「深谷ねぎ」

レンガ造りの煙突

レンガ造りの煙突

深谷中心市街地には、明治期に国内初の機械式レンガ工場が設立されたことで、レンガ造りの店舗や蔵などが数多く建てられた。周辺を散策すれば、レンガ造りの煙突、1階がレンガで2階が木造土壁の倉庫、和風の町屋建築にレンガのうだつをあげた珍しい建物などに出会える。

1996年には、深谷駅がレンガ造りの東京駅を模した橋上駅舎に改装された。2020年に開庁した深谷市役所新庁舎は、外壁などにレンガがふんだんに使われている。さらに、中心市街地の建築物や外構工事にレンガやレンガ調タイルを使用する場合に補助金を交付するなど「レンガを活かしたまちづくり」を推進している。

深谷を代表する郷土料理といえば「煮ぼうとう」。小麦粉で打った幅広の麺と深谷ねぎなどの特産野菜をたっぷり煮込んで、しょう油で味付けした麺料理。小麦粉を容易に手に入れることができた土地柄、古くから地元で愛されてきた。渋沢栄一も好んで食べたと伝えられている。

煮ぼうとう

煮ぼうとう

県北西部に位置する深谷市の面積は、138.37㎢。北端は利根川に接し、南側には荒川が流れる。肥沃な土壌に恵まれ、野菜をはじめとする農畜産物の生産が盛んになっている。

東京駅を模した深谷駅の駅舎は市のシンボルで、市の中央部を東西に走る高崎線を境に、南側に櫛引台地、北側に妻沼低地、荒川南部には丘陵地帯に接する江南台地が広がっている。夏から秋にかけての降水が多く、冬には赤城おろしと呼ばれる強い北風が吹く。

深谷駅舎

深谷駅舎

深谷グリーンパーク

深谷グリーンパークのユリ

郷土の偉人・渋沢栄一は、2024年に刷新される新一万円札の肖像に決まった。さらに、栄一が主人公の大河ドラマ「青天を衝け」の放送もあり、ゆかりの地を訪ねる人で沸いている。渋沢栄一の遺墨や関連する史料・写真などを展示する渋沢栄一記念館、旧渋沢邸「中の家」には、生前の姿を再現したアンドロイドが設置された(「中の家」は12月26日までプレ公開中)。中心市街地には、大河ドラマ放送期間限定でドラマの世界を体感できる「渋沢栄一 青天を衝け 深谷大河ドラマ館」がオープンした。

全国有数の花の産地であることにちなみ、市民と協働で花のまちづくりを進めている。「ガーデンシティふかや」を宣言し、「ふかや花フェスタ&オープンガーデンフェスタ」などのイベントも催される。特産のユリとチューリップをPRする大型花壇が造成される深谷グリーンパーク内には、北関東最大級の全天候型屋内プール「アクアパラダイスパティオ」を備え、家族連れに人気のスポットとなっている。

深谷七夕まつり、深谷まつりなどの伝統行事には、県外からの来訪も多い。

渋沢栄一は、幕末に血洗島村(現深谷市血洗島)の農家に生まれた。幼い頃から学問を学び、倒幕思想を抱いたこともあったが、のちの15代将軍・一橋 (徳川)慶喜に仕官し、幕臣としてパリ万博に派遣された。明治維新後には、欧州での見聞から新政府の官僚として近代国家設立に尽力。退官後は、実業界に転進し、第一国立銀行をはじめ約500社 の設立に関与した。社会福祉事業にも取り組み、児童養護施設や病院、 学校の設立・運営にも関わった。

渋沢栄一が幼少の頃に学問を習った尾高惇忠は、世界遺産となった富岡製糸場の初代場長となり、設立にあたって建築資材調達のまとめ役を担った韮塚直次郎と合わせて「ゆかりの三偉人」と称されている。

現代では、全国に出店するドトールコーヒーの鳥羽博道名誉会長、平昌パラリンピックで金メダルを含む5つのメダルを獲得した村岡桃佳選手、お笑いタレントのゴルゴ松本さんら各界で活躍する人物がいる。

渋沢栄一

渋沢栄一(深谷市所蔵)

花園IC拠点整備プロジェクトイメージ図

花園IC拠点整備プロジェクトイメージ図

新たな一万円札の顔として注目が高まった渋沢栄一に対する関心を一過性のものとせず、栄一が大切にしていた真心と思いやりの心を表す『忠恕』の精神を伝え、生誕の地を積極的にPRし、地域活性化につなげていきたいとしている。

農業分野では、先端技術を活用した革新的な農業「アグリテック(農業とテクノロジーを組み合わせた造語)」関連企業の集積に力を入れ、市内農家とのマッチングを図っていく。さらに、市内全体を「野菜が楽しめるテーマパーク」に見立て、深谷産の野菜を生かした観光モデルを確立しようと力を注いでいる。

「花園IC拠点整備プロジェクト」を推進し、2022年春には、野菜の魅力を体験できる「深谷テラス ヤサイな仲間たちファーム」が、同年秋には、「ふかや花園プレミアム・アウトレット」が開業を予定している。

深谷市のデータ

深谷市地図
人口 142,414人(令和3年9月1日現在)
世帯数 61,229(令和3年9月1日現在)
面積 138.37㎢
総生産額 4,945億2535万円(平成30年度)

取材協力:深谷市