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2022年9月23日 記事掲載

埼北市町村ガイド

埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。

Vol.18 東秩父村

伝統産業の手すき和紙

東秩父村の歴史は縄文時代にまでさかのぼる。村内からは古代の土器や集落跡がたくさん発見されている。なかでも「関場遺跡」は、特別な祭りで使われた石剣や石棒を作っていたとされる約3,000年前の石器工房の遺跡で、全国でも数例しか報告例がないことから製作工程を解明する上で極めて貴重な遺跡とされている。

室町時代後期から戦国時代前期において扇谷上杉氏の宿老として存在し、武蔵松山城(吉見町)の城主だった上田氏の菩提寺「浄蓮寺」が御堂地区にある。同寺には上田一族の墓や1603(慶長8)年に作られた過去帳など、東秩父の歴史において貴重な文化財が残されている。

1956(昭和31)年、大河原村と槻川村が合併し東秩父村が誕生、現在に至る。なお、2006(平成18)年に、都幾川村と玉川村が合併し「ときがわ町」となったため、県内で唯一の「村」となっている。


関場遺跡(左)と出土品

およそ1300年前に紙すきの技術が伝わったとされる「手すき和紙」が伝統産業として有名。村内を流れる槻川の水質や和紙の原料となる楮に恵まれたことなどが発展した大きな理由とされている。江戸期に隆盛を極めたが時代の流れとともに需要が減少。現在は伝統工芸品として大切に受け継がれ、主に版画用紙など美術工芸などで使われている。2014(平成26)年、国内産の楮のみを使用する「細川紙」の技術がユネスコの無形文化遺産に登録された。

細川紙

白石の神送り

住民により脈々と受け継がれている神事や民俗芸能が村内に多く存在する。代表的なのが一年の無病息災を祈る「白石の神送り」。疫病退散の願いを小旗に書き、豆を炒って半紙に包んだおひねりで身についた病鬼をふきとり、ひのきの葉と青竹で作った神輿とともに村境まで運び、槻川下流へと送り出す。疫病などの再侵入を封じる目的で、中央に穴の空いた大きなわらじをお守り代わりとして村境につるす特徴的な風習で、2012(平成24)年に県の無形民俗文化財に指定された。ほかにも坂本八幡大神社の秋大祭に奉納される「神代里神楽」や、悪病退散や病気平癒の祈願のため後土御門天皇の頃(1464~1500年)に始まったとされる「浅間神社の獅子舞」などがあり、村指定無形民俗文化財になっている。

B級グルメとして知られているのが「あずきすくい」。秩父地方の郷土料理「小豆ぼうとう」をアレンジしたもので、「ほうとう」のような麺ではなく、水でといた小麦粉を農作業の道具「箕」の形にして入れる。箕で小豆をすくって食べることから「あずきすくい」と名付けられた。「道の駅和紙の里ひがしちちぶ」などで販売されている。

あずきすくい

県中西部に位置し、面積は37.06㎢。約8割が山林で、ほぼ正三角形の地形をしている。秩父盆地から山を隔てた東側にあることから「東秩父」と名付けられた。秩父郡に属しているが、広域行政においては秩父地方ではなく隣接する比企郡の自治体とともに比企広域市町村圏組合を構成し、比企圏域に属している。

道の駅和紙の里ひがしちちぶの展望台から撮った村の風景

道の駅和紙の里ひがしちちぶ

伝統産業である手すき和紙体験などができる「道の駅和紙の里ひがしちちぶ」(東秩父村御堂441)は村を代表する観光スポット。敷地内には茅葺民家を移築復元した「細川紙紙すき家屋」や、貴重な歴史資料の展示や期間限定の企画展などを行う「ふるさと文化伝習館」、和紙で作った土産品などを販売する「特産品直売所」、地元野菜がそろう「JA農産物直売所」などがあり、遠方からも多く人が訪れる。

白石地区には豊かな自然を生かした「白石キャンプ場」があり、都内など遠方からの利用客も多い。

大内沢地区はみかんの栽培が盛んで、10月から12月にかけて「みかん狩り」が行われている。同じ大内沢の「花桃の郷」も観光名所として知られ、3月下旬から4月上旬にかけて、花桃をはじめ桜やレンギョウなどの花木約5,000本が咲き誇る。

また、隣の皆野町にまたがる秩父高原牧場(彩の国ふれあい牧場)のポピーも有名で、標高500mの高原に5月下旬から6月上旬にかけて約1,000万本のポピーが咲き「天空のポピー」と呼ばれる。

そのほか、坂本地区の二本木峠の山ツツジや虎山の千本桜など、花の名所が多く存在する。

花桃の郷

東秩父を代表する人物としてあげられるのが高田群次郎氏(1871~1953年)。槻川尋常小学校で教壇に立ち、儒学の中の陽明学を提唱した中国の王陽明(1472~1529年)や陽明学者の熊沢蕃山(1619~91年)を独学で学んだ。36歳の時に東秩父村の前身である槻川村の村長になり、雇用促進や防災経路の確保、診療所や図書館の開設などに携わり、長年にわたって村の振興に尽力。晩年には内村鑑三(1861~1930年)の門下としてカトリック教徒になった。

高田群次郎氏

 

移住体験施設「MuLife」

少子高齢化などによる人口減少を食い止めようと、村への移住者を増やす目的で移住体験施設「MuLife(ムライフ)」を2019年にオープン。村での生活を体験してもらう事業をスタートした。築約80年の古民家を改修した施設に宿泊することができ、自然豊かな東秩父村での生活を気軽に体験できる。

東秩父村のデータ

人口 2,580人(令和4年9月1日現在)
世帯数 1,061(令和4年9月1日現在)
面積 37.06㎢
総生産額 52億5400万円(平成30年度)

取材協力:東秩父村

東秩父村地図

Copyright © saihokuyomiuri.

埼北よみうり新聞

2022年9月23日 記事掲載

埼北市町村ガイド

18.東秩父村

Vol.18 東秩父村

伝統産業の手すき和紙

東秩父村の歴史は縄文時代にまでさかのぼる。村内からは古代の土器や集落跡がたくさん発見されている。なかでも「関場遺跡」は、特別な祭りで使われた石剣や石棒を作っていたとされる約3,000年前の石器工房の遺跡で、全国でも数例しか報告例がないことから製作工程を解明する上で極めて貴重な遺跡とされている。

室町時代後期から戦国時代前期において扇谷上杉氏の宿老として存在し、武蔵松山城(吉見町)の城主だった上田氏の菩提寺「浄蓮寺」が御堂地区にある。同寺には上田一族の墓や1603(慶長8)年に作られた過去帳など、東秩父の歴史において貴重な文化財が残されている。

1956(昭和31)年、大河原村と槻川村が合併し東秩父村が誕生、現在に至る。なお、2006(平成18)年に、都幾川村と玉川村が合併し「ときがわ町」となったため、県内で唯一の「村」となっている。

細川紙

およそ1300年前に紙すきの技術が伝わったとされる「手すき和紙」が伝統産業として有名。村内を流れる槻川の水質や和紙の原料となる楮に恵まれたことなどが発展した大きな理由とされている。江戸期に隆盛を極めたが時代の流れとともに需要が減少。現在は伝統工芸品として大切に受け継がれ、主に版画用紙など美術工芸などで使われている。2014(平成26)年、国内産の楮のみを使用する「細川紙」の技術がユネスコの無形文化遺産に登録された。

細川紙

白石の神送り

住民により脈々と受け継がれている神事や民俗芸能が村内に多く存在する。代表的なのが一年の無病息災を祈る「白石の神送り」。疫病退散の願いを小旗に書き、豆を炒って半紙に包んだおひねりで身についた病鬼をふきとり、ひのきの葉と青竹で作った神輿とともに村境まで運び、槻川下流へと送り出す。疫病などの再侵入を封じる目的で、中央に穴の空いた大きなわらじをお守り代わりとして村境につるす特徴的な風習で、2012(平成24)年に県の無形民俗文化財に指定された。ほかにも坂本八幡大神社の秋大祭に奉納される「神代里神楽」や、悪病退散や病気平癒の祈願のため後土御門天皇の頃(1464~1500年)に始まったとされる「浅間神社の獅子舞」などがあり、村指定無形民俗文化財になっている。

B級グルメとして知られているのが「あずきすくい」。秩父地方の郷土料理「小豆ぼうとう」をアレンジしたもので、「ほうとう」のような麺ではなく、水でといた小麦粉を農作業の道具「箕」の形にして入れる。箕で小豆をすくって食べることから「あずきすくい」と名付けられた。「道の駅和紙の里ひがしちちぶ」などで販売されている。

あずきすくい

県中西部に位置し、面積は37.06㎢。約8割が山林で、ほぼ正三角形の地形をしている。秩父盆地から山を隔てた東側にあることから「東秩父」と名付けられた。秩父郡に属しているが、広域行政においては秩父地方ではなく隣接する比企郡の自治体とともに比企広域市町村圏組合を構成し、比企圏域に属している。

道の駅和紙の里ひがしちちぶの展望台から撮った村の風景

道の駅和紙の里ひがしちちぶ

伝統産業である手すき和紙体験などができる「道の駅和紙の里ひがしちちぶ」(東秩父村御堂441)は村を代表する観光スポット。敷地内には茅葺民家を移築復元した「細川紙紙すき家屋」や、貴重な歴史資料の展示や期間限定の企画展などを行う「ふるさと文化伝習館」、和紙で作った土産品などを販売する「特産品直売所」、地元野菜がそろう「JA農産物直売所」などがあり、遠方からも多く人が訪れる。

白石地区には豊かな自然を生かした「白石キャンプ場」があり、都内など遠方からの利用客も多い。

大内沢地区はみかんの栽培が盛んで、10月から12月にかけて「みかん狩り」が行われている。同じ大内沢の「花桃の郷」も観光名所として知られ、3月下旬から4月上旬にかけて、花桃をはじめ桜やレンギョウなどの花木約5,000本が咲き誇る。

また、隣の皆野町にまたがる秩父高原牧場(彩の国ふれあい牧場)のポピーも有名で、標高500mの高原に5月下旬から6月上旬にかけて約1,000万本のポピーが咲き「天空のポピー」と呼ばれる。

花桃の郷

東秩父を代表する人物としてあげられるのが高田群次郎氏(1871~1953年)。槻川尋常小学校で教壇に立ち、儒学の中の陽明学を提唱した中国の王陽明(1472~1529年)や陽明学者の熊沢蕃山(1619~91年)を独学で学んだ。36歳の時に東秩父村の前身である槻川村の村長になり、雇用促進や防災経路の確保、診療所や図書館の開設などに携わり、長年にわたって村の振興に尽力。晩年には内村鑑三(1861~1930年)の門下としてカトリック教徒になった。

高田群次郎氏

移住体験施設「MuLife」

少子高齢化などによる人口減少を食い止めようと、村への移住者を増やす目的で移住体験施設「MuLife(ムライフ)」を2019年にオープン。村での生活を体験してもらう事業をスタートした。築約80年の古民家を改修した施設に宿泊することができ、自然豊かな東秩父村での生活を気軽に体験できる。

東秩父村のデータ

東秩父村地図
人口 2,580人(令和4年9月1日現在)
世帯数 1,061(令和4年9月1日現在)
面積 37.06㎢
総生産額 52億5400万円(平成30年度)

取材協力:東秩父村