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2021年11月26日 記事掲載

埼北市町村ガイド

埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。

Vol.8 越生町

越生梅林

越生梅林

興禅寺の板碑

興禅寺の板碑

越生の歴史は古く、町内には縄文時代の集落跡地「上台遺跡」や、縄文人の骨や弥生土器が発掘された「夫婦岩岩陰遺跡」など、原始・古代遺跡が点在している。20数体の平安仏や鎌倉、南北朝時代に創建された数多くの寺社堂庵、400基を超える板碑などが残されていることから、関東の南北を結ぶ交通の要衝としての役割を担ってきたと考えられる。中世には町内を流れる越辺川流域の広い範囲が越生郷と呼ばれ、政治的にも経済的にも重要な位置を占めていた。江戸時代になると、現在の市街地中心部に「六斎市」が立ち〝越生の今市〟と称され、その後、明治、大正、昭和と物産、日用品の集散地として発展していく。1889年、町村制施行により9つの村が合併し越生町が誕生。その後、1955年に梅園村と合併、現在に至る。

「越生」の名称については諸説ある。鎌倉時代、奥州遠征に向かう源頼朝の軍勢に「小越右馬允有弘」の名があり、古文書にも「越生馬允」が認められることから、「おごせ」という音の地名があり、後に漢字が当てられたという説。越辺川の「越辺」が転じて「越生」になった説。民俗学者の柳田國男が唱えた、山の稜線を越すことを意味する「峰越」説。秩父外輪の山々を踏破する足がかりとなることから、「オッ越し」「尾越」になったとされる説など。

ゆず

ゆず

関東三大梅林に数えられる「越生梅林」は有名で、屈指の梅の産地として知られている。JAいるま野越生支店梅部会には約90名の農家が所属、梅干し品評会や栽培研修会などを行っている。また山間地を中心にゆずの栽培も盛んで、隣の毛呂山町やときがわ町とともに一大産地となっている。毎年6月に「梅フェア」、12月に「ゆずフェア」を開催。今年のゆずフェアは中止となるが、うめその梅の駅(越生自然休養村センター)で12月5日(日)の9時半から14時に、ゆずの販売会が行われる予定となっている。

森林が多いことから、古くから林業が盛んで、良質なスギやヒノキを「西川材」というブランド名で売り出し、町の特産品にしようと力を入れている。

役行者像

役行者像

男滝・女滝・天狗滝からなる「黒山三滝」はハイカーなどが訪れる観光スポットとなっているが、かつては山岳宗教修験道の拠点とされ、多くの信仰を集めた。三滝からさらに登った標高524.8mの大平山の頂上付近には、江戸時代に建立された修験道の開祖とされている役行者の石像が鎮座している。

1933年、八高線開通事業として民謡「越生小唄」が作られた。作詞は童謡・民謡作詞家の野口雨情が手掛け、越辺川など越生にまつわる歌詞が散りばめられている。

山吹の里歴史公園内の野口雨情歌碑

山吹の里歴史公園内の野口雨情歌碑

毎年4月下旬から5月上旬にかけて1万株以上のつつじが咲く町の名所「五大尊つつじ公園」には、五大明王像が祀られる五大尊堂があり、園内には江戸時代の商人・鈴木金兵衛に関わる4基の句碑と188基の札所巡拝碑が建っている。金兵衛は1781年に越生郷黒岩村(現・越生町大字黒岩)に生まれ、江戸日本橋で古帳類買入所(古紙回収業)を営むかたわら、古帳庵の号で俳句をたしなんでいた。四国八十八ヶ所、西国・坂東・秩父百観音の写し霊場を設けることを発願し、巡拝碑(札所写)の建立に着手したが、すべての碑の完成には至らなかった。町は平成27年度に不足の84基を新たに造り、既存のものと合わせた188基を札所番号順に配置した。

五大尊つつじ公園の札所巡礼碑

五大尊つつじ公園の札所巡礼碑

都心から50㎞圏内で面積は40.39㎢。東西に9.5㎞、南北に7.9㎞、主に町の東側が市街地や住宅地、西側が山間地となっている。秩父山地と関東平野の境に位置していることから、地形の変化に富み、豊かな自然に恵まれ、四季折々で様々な表情を見せる。

空撮

空撮

黒山三滝の男滝(上)と女滝

黒山三滝の男滝(上)と女滝

「越生梅林」は町を代表する観光スポットで、毎年開花の時期になると多くの人が観梅に訪れる。来年も2月中旬から3月下旬にかけて「梅まつり」を行う予定で、初の夜間ライトアップも行われるとのこと。

梅林からさらに山間地に進むと3つの滝からなる「黒山三滝」があり、春や夏は涼を求めに、晩秋には紅葉狩りを楽しむ人らが訪れる。

北部の山間地にある「上谷の大クス」は、高さ約30m、樹齢約1000年のクスノキで、県が昨年SNSを活用して行った「埼玉巨樹番付」で最も多くの『いいね!』を集め東の横綱になった。周辺に見学用のウッドデッキが設置されているが、一昨年から樹木医による治療を継続中のため、近くでの見学ができなくなっている。

自然豊かな越生町はその特色を生かし、町外から多くのハイカーを呼び込もうと5年前に「ハイキングのまち宣言」をした。「月例ハイキング」と称し、町の公式ホームページなどで月ごとのおすすめコースを紹介しているほか、七福神が祀られている町内の寺を巡る「武蔵越生七福神めぐり」を毎年正月に開催、来年も1月4日(火)に開催される予定となっている。

上谷の大クス

上谷の大クス

室町時代の武将・太田道灌は越生で生まれたと伝えられている。文武両道であり、数々の戦で活躍したほか、江戸城の築城などにも携わった。近年改装されたJR越生駅の西口前には道灌の銅像が建っている。

また、近代日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一の養子・渋沢平九郎は越生の地で自決していて、町内各所に関連の碑などが建てられている。

生まれは異なるが、俳優の大竹しのぶさんや歌手の大友康平さんは子ども時代を越生町で過ごしている。また、1984年のロサンゼルス五輪女子バレーボールで銅メダルに輝いた小高笑子さんをはじめとするトップアスリートを多く輩出している。

越生駅前の太田道灌像

越生駅前の太田道灌像

 

全国的に少子高齢化が進む中、町の人口減少を食い止めようと「みどりとせせらぎのまち越生~笑顔と活気に満ち 夢が広がるまちづくり~」をスローガンにした第六次越生町長期総合計画を策定。女性や若者の声を取り入れ、町のPRを強化し、空き家バンクの活用やサテライトオフィスの推奨など町に人を呼び込む取り組みを中心に、人口減少対策に力を入れたいとしている。

越生町のデータ

人口 11,261人(令和3年11月1日現在)
世帯数 5,073(令和3年11月1日現在)
面積 40.39㎢
総生産額 213億3200万円(平成30年度)

取材協力:越生町

越生町地図

Copyright © saihokuyomiuri.

埼北よみうり新聞

2021年11月26日 記事掲載

埼北市町村ガイド

Vol.8 越生町

越生梅林

越生梅林

興禅寺の板碑

興禅寺の板碑

越生の歴史は古く、町内には縄文時代の集落跡地「上台遺跡」や、縄文人の骨や弥生土器が発掘された「夫婦岩岩陰遺跡」など、原始・古代遺跡が点在している。20数体の平安仏や鎌倉、南北朝時代に創建された数多くの寺社堂庵、400基を超える板碑などが残されていることから、関東の南北を結ぶ交通の要衝としての役割を担ってきたと考えられる。中世には町内を流れる越辺川流域の広い範囲が越生郷と呼ばれ、政治的にも経済的にも重要な位置を占めていた。江戸時代になると、現在の市街地中心部に「六斎市」が立ち〝越生の今市〟と称され、その後、明治、大正、昭和と物産、日用品の集散地として発展していく。1889年、町村制施行により9つの村が合併し越生町が誕生。その後、1955年に梅園村と合併、現在に至る。

「越生」の名称については諸説ある。鎌倉時代、奥州遠征に向かう源頼朝の軍勢に「小越右馬允有弘」の名があり、古文書にも「越生馬允」が認められることから、「おごせ」という音の地名があり、後に漢字が当てられたという説。越辺川の「越辺」が転じて「越生」になった説。民俗学者の柳田國男が唱えた、山の稜線を越すことを意味する「峰越」説。秩父外輪の山々を踏破する足がかりとなることから、「オッ越し」「尾越」になったとされる説など。

ゆず

ゆず

関東三大梅林に数えられる「越生梅林」は有名で、屈指の梅の産地として知られている。JAいるま野越生支店梅部会には約90名の農家が所属、梅干し品評会や栽培研修会などを行っている。また山間地を中心にゆずの栽培も盛んで、隣の毛呂山町やときがわ町とともに一大産地となっている。毎年6月に「梅フェア」、12月に「ゆずフェア」を開催。今年のゆずフェアは中止となるが、うめその梅の駅(越生自然休養村センター)で12月5日(日)の9時半から14時に、ゆずの販売会が行われる予定となっている。

森林が多いことから、古くから林業が盛んで、良質なスギやヒノキを「西川材」というブランド名で売り出し、町の特産品にしようと力を入れている。

役行者像

役行者像

男滝・女滝・天狗滝からなる「黒山三滝」はハイカーなどが訪れる観光スポットとなっているが、かつては山岳宗教修験道の拠点とされ、多くの信仰を集めた。三滝からさらに登った標高524.8mの大平山の頂上付近には、江戸時代に建立された修験道の開祖とされている役行者の石像が鎮座している。

1933年、八高線開通事業として民謡「越生小唄」が作られた。作詞は童謡・民謡作詞家の野口雨情が手掛け、越辺川など越生にまつわる歌詞が散りばめられている。

山吹の里歴史公園内の野口雨情歌碑

山吹の里歴史公園内の野口雨情歌碑

毎年4月下旬から5月上旬にかけて1万株以上のつつじが咲く町の名所「五大尊つつじ公園」には、五大明王像が祀られる五大尊堂があり、園内には江戸時代の商人・鈴木金兵衛に関わる4基の句碑と188基の札所巡拝碑が建っている。金兵衛は1781年に越生郷黒岩村(現・越生町大字黒岩)に生まれ、江戸日本橋で古帳類買入所(古紙回収業)を営むかたわら、古帳庵の号で俳句をたしなんでいた。四国八十八ヶ所、西国・坂東・秩父百観音の写し霊場を設けることを発願し、巡拝碑(札所写)の建立に着手したが、すべての碑の完成には至らなかった。町は平成27年度に不足の84基を新たに造り、既存のものと合わせた188基を札所番号順に配置した。

五大尊つつじ公園の札所巡礼碑

五大尊つつじ公園の札所巡礼碑

都心から50㎞圏内で面積は40.39㎢。東西に9.5㎞、南北に7.9㎞、主に町の東側が市街地や住宅地、西側が山間地となっている。秩父山地と関東平野の境に位置していることから、地形の変化に富み、豊かな自然に恵まれ、四季折々で様々な表情を見せる。

空撮

空撮

黒山三滝の男滝(上)と女滝

黒山三滝の男滝(上)と女滝

「越生梅林」は町を代表する観光スポットで、毎年開花の時期になると多くの人が観梅に訪れる。来年も2月中旬から3月下旬にかけて「梅まつり」を行う予定で、初の夜間ライトアップも行われるとのこと。

梅林からさらに山間地に進むと3つの滝からなる「黒山三滝」があり、春や夏は涼を求めに、晩秋には紅葉狩りを楽しむ人らが訪れる。

北部の山間地にある「上谷の大クス」は、高さ約30m、樹齢約1000年のクスノキで、県が昨年SNSを活用して行った「埼玉巨樹番付」で最も多くの『いいね!』を集め東の横綱になった。周辺に見学用のウッドデッキが設置されているが、一昨年から樹木医による治療を継続中のため、近くでの見学ができなくなっている。

自然豊かな越生町はその特色を生かし、町外から多くのハイカーを呼び込もうと5年前に「ハイキングのまち宣言」をした。「月例ハイキング」と称し、町の公式ホームページなどで月ごとのおすすめコースを紹介しているほか、七福神が祀られている町内の寺を巡る「武蔵越生七福神めぐり」を毎年正月に開催、来年も1月4日(火)に開催される予定となっている。

上谷の大クス

上谷の大クス

室町時代の武将・太田道灌は越生で生まれたと伝えられている。文武両道であり、数々の戦で活躍したほか、江戸城の築城などにも携わった。近年改装されたJR越生駅の西口前には道灌の銅像が建っている。

また、近代日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一の養子・渋沢平九郎は越生の地で自決していて、町内各所に関連の碑などが建てられている。

生まれは異なるが、俳優の大竹しのぶさんや歌手の大友康平さんは子ども時代を越生町で過ごしている。また、1984年のロサンゼルス五輪女子バレーボールで銅メダルに輝いた小高笑子さんをはじめとするトップアスリートを多く輩出している。

越生駅前の太田道灌像

越生駅前の太田道灌像

全国的に少子高齢化が進む中、町の人口減少を食い止めようと「みどりとせせらぎのまち越生~笑顔と活気に満ち 夢が広がるまちづくり~」をスローガンにした第六次越生町長期総合計画を策定。女性や若者の声を取り入れ、町のPRを強化し、空き家バンクの活用やサテライトオフィスの推奨など町に人を呼び込む取り組みを中心に、人口減少対策に力を入れたいとしている。

越生町のデータ

越生町地図
人口 11,261人(令和3年11月1日現在)
世帯数 5,073(令和3年11月1日現在)
面積 40.39㎢
総生産額 213億3200万円(平成30年度)

取材協力:越生町