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2022年1月28日 記事掲載

埼北市町村ガイド

埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。

Vol.10 嵐山町

菅谷館(城)跡に建つ畠山重忠像

菅谷館(城)跡に建つ畠山重忠像

上空から見た杉山城跡

上空から見た杉山城跡

町には多くの文化財や史跡が残され、歴史を伝えている。その代表的なものが菅谷館跡(国指定史跡)だ。平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した武士、畠山重忠が住んでいたと伝わる。同時代の武士で、征夷大将軍となった木曽義仲は、現在の嵐山町鎌形地内で生まれたと伝わり、鎌形神社には、義仲の産湯に使われたとされる清水が今も湧き出ている。

戦国時代に築かれた城郭として、最高傑作の評価を受ける杉山城跡(国指定史跡)が、今も嵐山の地に残されている。土塁と空堀とで仕切られた郭を、山の高低差を利用して巧みに配置し、少人数であっても多くの敵を迎え撃つことのできるように、築城技術を駆使した。続日本100名城にも選ばれている。前述の菅谷館は、戦国時代に改修され、菅谷城に形を変えた。

町の成り立ちに目を向けると、1955(昭和30)年に七郷村と菅谷村が合併して菅谷村となり、67(昭和42)年に町制施行され嵐山町が誕生した。70年代には、地産団地の造成・分譲が始まり、人口増加に拍車をかけた。昭和から平成に時代が移ると、前半は花見台工業団地、役場庁舎、図書館が完成、半ばには関越自動車道の嵐山小川ICが開通し、国道254号線が4車線化するなど、現在の町の基礎を築いた。

農林61号の小麦粉を使ったうどん

農林61号の小麦粉を使ったうどん

産業の柱を、農業が担う。米麦が中心で、稲と麦の二毛作の採用も多くみられる。特に、小麦・農林61号の普及・活用を推進するプロジェクトが展開され、生産が活発化している。野菜では、ホウレンソウやのらぼう菜の出荷量が多い。農業の担い手を増やすための育成事業にも取り組んでいる。

町は近年、観光産業化にも力を入れている。嵐山渓谷やバーベキュー場、城跡などのほか、3年かけて完成させた大型ラベンダー園をオープンさせている。その前年には、武蔵嵐山駅西口にステーションプラザ嵐なびを開設し、『観光の玄関口』として一新した。さらに現在は、観光庁が推進するDMO(観光地域づくり法人)の設立を目指した取り組みを進めている。

鬼鎮神社

鬼鎮神社

自然を愛し、大切にする文化が育まれている。杉山城跡では、地域の保存会や隣接する玉ノ岡中学校の生徒らが、竹の間伐や史跡保護のためのウッドチップを敷設している。オオムラサキの森では、地元ボランティアが成育や環境保全に努めている。

独特の文化も継承されている。全国でも珍しい鬼を祀った鬼鎮神社がある。節分祭には「福は内、鬼は内、悪魔そと」のかけ声で豆をまく。鬼の強さにあやかりたいと、必勝祈願や合格祈願に訪れる人も多い。

町の特産品を作ろうと、2016年から町産小麦・農林61号の普及・活用を推進する「農林61プロジェクト」がスタートした。10年ほど前に県の奨励品種から外れ、流通量が激減した農林61号を、地元の事業者と連携し、生産を拡大している。主にうどんやお菓子の原料として小麦粉の使用協賛店の増加にも力を注いでいる。

都幾川堤の桜並木

都幾川堤の桜並木

埼玉県のほぼ中央に位置し、町の面積は29.92㎢。南北に細長い地形で、8市町に隣接する。町内には嵐山小川ICや東武東上線武蔵嵐山駅があり、アクセスが良い。起伏の多い丘陵地帯で自然豊か。都幾川、市野川などと河川も多い。そのひとつ、槻川が流れる嵐山渓谷には昭和初期、林学博士で明治神宮の森や日比谷公園を設計した本多静六博士が訪れ、美しい景観を京都の嵐山に例え、『武蔵嵐山』とつぶやいた。後に、町名の由来にもなった。町内各所では、春には都幾川堤の桜、夏は千年の苑のラベンダーや金泉寺のアジサイが咲き誇る。秋には嵐山渓谷が赤や黄に染まり、見事な景観を見せる。

嵐山渓谷バーベキュー場

嵐山渓谷バーベキュー場

町一番の観光スポットが嵐山渓谷。春は新緑、秋は紅葉が見事で、四季折々の自然が楽しめる。特に人気なのが、渓谷の河原を利用したバーベキュー場。四季の移り変わりや夏には川遊びも楽しめるなど、繁忙期ともなると近隣や都心からの来場者で満員となる。自然の造形美も楽しめる。渓谷を流れる槻川の岩畳には、甌穴と呼ばれる大きな穴が見られる。穴は、川底の小石が水流によって回転することで、少しずつ岩が削れていき、長い年月をかけて開いたもので、独特の魅力を放つ。ほかにも、老若男女が気軽に登れる大平山(標高179m)や、渓谷の美しさを詠んだ俳人与謝野晶子の歌碑など、見どころが多い。

近年注目を集めるスポットが2つ。ひとつは、千年の苑ラベンダー園。新たな観光資源として、2019(令和元)年にオープンした。約6haの園内に、主品種グロッソを中心に数品種が植えられ、開花時期の6月上旬から7月上旬には、花と香りが楽しめる。精油や景色を写したポストカードなど、ラベンダーを使った様々な商品開発も進めている。もうひとつが学校橋河原で、キャンプ地として人気が高まっている。休日のみならず平日にもテントを張り、思い思いに過ごす人たちの姿が見られる。

ほかにも観光スポットは数多い。続日本100名城に選ばれている杉山城跡や菅谷館(城)跡では、戦国時代の築城技術が垣間見られ、城好き必見の地として知られる。菅谷館(城)跡には県立嵐山史跡の博物館も建ち、周辺の歴史・文化を伝えている。オオムラサキの森では、夏になると国蝶オオムラサキが見られ、来場者でにぎわう。

小池選手 ⒸTOKYO VERDY

小池選手 ⒸTOKYO VERDY

平安末期から鎌倉時代に活躍した木曽義仲(幼名駒王丸 1154~84年)は、父源義賢の居館である大蔵館が焼き討ちに遭い、2歳で木曽に逃れた。平氏討伐で名を上げ、征夷大将軍に任命された。斑渓寺は、妻山吹姫が義仲、息子義高を弔うために創建したとされる。同時代、深谷市で生まれたとされる畠山重忠(1164~1205年)は、菅谷館に住んでいたとされる。多くの信望を集め「武士の鑑」と評された。

Jリーグでは出身選手が活躍。J1・ジュビロ磐田に黒川淳史選手(1998年~)が、J2・東京ヴェルディには小池純輝選手(1987年~)が所属する。小池選手は2021年のJ2リーグで、日本人選手最多となる17得点を挙げた。

 

花見台工業団地(撮影:内田泰永氏)

花見台工業団地(撮影:内田泰永氏)

町の活力創出へ、町北東部にある花見台工業団地を拡張し、さらなる企業誘致を推し進めている。新規企業の立地が進むことで新たな雇用創出が見込まれ、人口増加にも期待がかかる。

より良い町づくりを目指し、誘致した企業を始めとした町内事業者や団体などと連携も図る。地方創生や防災、福祉、子育て支援など、様々な分野で協定を締結している。

インフラ整備も着実に進めている。武蔵嵐山駅西口周辺の整備計画では、駅前周辺の利便性向上、にぎわい創出を見込み、2022年の完成を目指す。

嵐山町のデータ

人口 17,630人(令和4年1月1日現在)
世帯数 8,173(令和4年1月1日現在)
面積 29.92㎢
総生産額 838億7900万円(平成30年度)

取材協力:嵐山町

滑川町地図

Copyright © saihokuyomiuri.

埼北よみうり新聞

2022年1月28日 記事掲載

埼北市町村ガイド

10.嵐山町

Vol.10 嵐山町

菅谷館(城)跡に建つ畠山重忠像

菅谷館(城)跡に建つ畠山重忠像

上空から見た杉山城跡

上空から見た杉山城跡

町には多くの文化財や史跡が残され、歴史を伝えている。その代表的なものが菅谷館跡(国指定史跡)だ。平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した武士、畠山重忠が住んでいたと伝わる。同時代の武士で、征夷大将軍となった木曽義仲は、現在の嵐山町鎌形地内で生まれたと伝わり、鎌形神社には、義仲の産湯に使われたとされる清水が今も湧き出ている。

戦国時代に築かれた城郭として、最高傑作の評価を受ける杉山城跡(国指定史跡)が、今も嵐山の地に残されている。土塁と空堀とで仕切られた郭を、山の高低差を利用して巧みに配置し、少人数であっても多くの敵を迎え撃つことのできるように、築城技術を駆使した。続日本100名城にも選ばれている。前述の菅谷館は、戦国時代に改修され、菅谷城に形を変えた。

町の成り立ちに目を向けると、1955(昭和30)年に七郷村と菅谷村が合併して菅谷村となり、67(昭和42)年に町制施行され嵐山町が誕生した。70年代には、地産団地の造成・分譲が始まり、人口増加に拍車をかけた。昭和から平成に時代が移ると、前半は花見台工業団地、役場庁舎、図書館が完成、半ばには関越自動車道の嵐山小川ICが開通し、国道254号線が4車線化するなど、現在の町の基礎を築いた。

農林61号の小麦粉を使ったうどん

農林61号の小麦粉を使ったうどん

産業の柱を、農業が担う。米麦が中心で、稲と麦の二毛作の採用も多くみられる。特に、小麦・農林61号の普及・活用を推進するプロジェクトが展開され、生産が活発化している。野菜では、ホウレンソウやのらぼう菜の出荷量が多い。農業の担い手を増やすための育成事業にも取り組んでいる。

町は近年、観光産業化にも力を入れている。嵐山渓谷やバーベキュー場、城跡などのほか、3年かけて完成させた大型ラベンダー園をオープンさせている。その前年には、武蔵嵐山駅西口にステーションプラザ嵐なびを開設し、『観光の玄関口』として一新した。さらに現在は、観光庁が推進するDMO(観光地域づくり法人)の設立を目指した取り組みを進めている。

鬼鎮神社

鬼鎮神社

自然を愛し、大切にする文化が育まれている。杉山城跡では、地域の保存会や隣接する玉ノ岡中学校の生徒らが、竹の間伐や史跡保護のためのウッドチップを敷設している。オオムラサキの森では、地元ボランティアが成育や環境保全に努めている。

独特の文化も継承されている。全国でも珍しい鬼を祀った鬼鎮神社がある。節分祭には「福は内、鬼は内、悪魔そと」のかけ声で豆をまく。鬼の強さにあやかりたいと、必勝祈願や合格祈願に訪れる人も多い。

町の特産品を作ろうと、2016年から町産小麦・農林61号の普及・活用を推進する「農林61プロジェクト」がスタートした。10年ほど前に県の奨励品種から外れ、流通量が激減した農林61号を、地元の事業者と連携し、生産を拡大している。主にうどんやお菓子の原料として小麦粉の使用協賛店の増加にも力を注いでいる。

都幾川堤の桜並木

都幾川堤の桜並木

埼玉県のほぼ中央に位置し、町の面積は29.92㎢。南北に細長い地形で、8市町に隣接する。町内には嵐山小川ICや東武東上線武蔵嵐山駅があり、アクセスが良い。起伏の多い丘陵地帯で自然豊か。都幾川、市野川などと河川も多い。そのひとつ、槻川が流れる嵐山渓谷には昭和初期、林学博士で明治神宮の森や日比谷公園を設計した本多静六博士が訪れ、美しい景観を京都の嵐山に例え、『武蔵嵐山』とつぶやいた。後に、町名の由来にもなった。町内各所では、春には都幾川堤の桜、夏は千年の苑のラベンダーや金泉寺のアジサイが咲き誇る。秋には嵐山渓谷が赤や黄に染まり、見事な景観を見せる。

嵐山渓谷バーベキュー場

嵐山渓谷バーベキュー場

町一番の観光スポットが嵐山渓谷。春は新緑、秋は紅葉が見事で、四季折々の自然が楽しめる。特に人気なのが、渓谷の河原を利用したバーベキュー場。四季の移り変わりや夏には川遊びも楽しめるなど、繁忙期ともなると近隣や都心からの来場者で満員となる。自然の造形美も楽しめる。渓谷を流れる槻川の岩畳には、甌穴と呼ばれる大きな穴が見られる。穴は、川底の小石が水流によって回転することで、少しずつ岩が削れていき、長い年月をかけて開いたもので、独特の魅力を放つ。ほかにも、老若男女が気軽に登れる大平山(標高179m)や、渓谷の美しさを詠んだ俳人与謝野晶子の歌碑など、見どころが多い。

近年注目を集めるスポットが2つ。ひとつは、千年の苑ラベンダー園。新たな観光資源として、2019(令和元)年にオープンした。約6haの園内に、主品種グロッソを中心に数品種が植えられ、開花時期の6月上旬から7月上旬には、花と香りが楽しめる。精油や景色を写したポストカードなど、ラベンダーを使った様々な商品開発も進めている。もうひとつが学校橋河原で、キャンプ地として人気が高まっている。休日のみならず平日にもテントを張り、思い思いに過ごす人たちの姿が見られる。

ほかにも観光スポットは数多い。続日本100名城に選ばれている杉山城跡や菅谷館(城)跡では、戦国時代の築城技術が垣間見られ、城好き必見の地として知られる。菅谷館(城)跡には県立嵐山史跡の博物館も建ち、周辺の歴史・文化を伝えている。オオムラサキの森では、夏になると国蝶オオムラサキが見られ、来場者でにぎわう。

小池選手 ⒸTOKYO VERDY

小池選手 ⒸTOKYO VERDY

平安末期から鎌倉時代に活躍した木曽義仲(幼名駒王丸 1154~84年)は、父源義賢の居館である大蔵館が焼き討ちに遭い、2歳で木曽に逃れた。平氏討伐で名を上げ、征夷大将軍に任命された。斑渓寺は、妻山吹姫が義仲、息子義高を弔うために創建したとされる。同時代、深谷市で生まれたとされる畠山重忠(1164~1205年)は、菅谷館に住んでいたとされる。多くの信望を集め「武士の鑑」と評された。

Jリーグでは出身選手が活躍。J1・ジュビロ磐田に黒川淳史選手(1998年~)が、J2・東京ヴェルディには小池純輝選手(1987年~)が所属する。小池選手は2021年のJ2リーグで、日本人選手最多となる17得点を挙げた。

花見台工業団地(撮影:内田泰永氏)

花見台工業団地(撮影:内田泰永氏)

町の活力創出へ、町北東部にある花見台工業団地を拡張し、さらなる企業誘致を推し進めている。新規企業の立地が進むことで新たな雇用創出が見込まれ、人口増加にも期待がかかる。

より良い町づくりを目指し、誘致した企業を始めとした町内事業者や団体などと連携も図る。地方創生や防災、福祉、子育て支援など、様々な分野で協定を締結している。

インフラ整備も着実に進めている。武蔵嵐山駅西口周辺の整備計画では、駅前周辺の利便性向上、にぎわい創出を見込み、2022年の完成を目指す。

嵐山町のデータ

嵐山町地図
人口 17,630人(令和4年1月1日現在)
世帯数 8,173(令和4年1月1日現在)
面積 29.92㎢
総生産額 838億7900万円(平成30年度)

取材協力:嵐山町