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2022年3月25日 記事掲載

埼北市町村ガイド

埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。

Vol.12 吉見町

219基の横穴墓が見られる吉見百穴

219基の横穴墓が見られる吉見百穴

上空から見た松山城跡

上空から見た松山城跡

町に残る史跡の数々から、古代から多くの人が暮らしていた様子がうかがわれる。その代表的なものが国指定史跡吉見百穴。古墳時代後期から終末期(6世紀末~7世紀後半)に造られた横穴墓群で、219基の横穴墓が確認されている。このほか、同時代のものとされる黒岩横穴墓群(県指定)などが点在している。

平安時代には、源頼朝の弟の源範頼が、現在の息障院(吉見町御所)がある一帯に館を構えていたことから、伝範頼館跡として県指定旧跡となっている。範頼以降も、子範円から4代にわたり居館としていたと伝えられる。

15世紀末に築かれたとされる松山城跡も残されている。松山城は戦国時代、上杉、武田、後北条など、有力武将たちの攻防の舞台にもなった。現在でも本曲輪などの遺構が見られる。2008(平成20)年には、すでに国指定であった菅谷館(城)跡(嵐山町)に加わる形で、杉山城跡(嵐山町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)と並んで、比企城館跡群として国史跡に指定された。

町の成り立ちに目を向けると1954(昭和29)年、東吉見村、西吉見村、南吉見村、北吉見村の4村が合併し、吉見村となった。72(昭和47)年に町制が施行され、現在の吉見町が誕生した。

みずみずしい特産のいちご

みずみずしい特産のいちご

農業が主要産業。町の特産物として真っ先に名前が挙がるのがいちご。1955(昭和30)年から栽培が始まったとされる。県内有数の生産量を誇り、「いちごの里よしみ」として認知されている。主品種はとちおとめ、やよいひめ。2021(令和3)年、町内2軒の生産者により試験栽培が行われた県の新品種「べにたま」が、市場に初出荷された。糖度が高く、酸味が少ないのが特徴で、収穫量も多いことから、23(令和5)年の本格栽培へ向けて、多くの農家が取り組むことが期待されている。

米の生産も盛んで、15(平成27)年には、生産者と町が協働で米ネットいちごの里よしみ協議会を設立。インターネット販売サイトを立ち上げ、消費・販路拡大を目指している。

都心から50㎞圏内で、関越自動車道や圏央道とのアクセスの良さを生かし、企業誘致にも力を入れてきた。多くの企業が立地を進めたことで、雇用の増加が図られた。

荘厳な吉見観音(安楽寺)

荘厳な吉見観音(安楽寺)

伝統が息づく町として、様々な行事や風習が受け継がれている。

吉見観音として親しまれる坂東11番札所・安楽寺では、毎年6月18日、本尊ご開帳の日に、厄除け朝観音が催される。朝早くからお参りするほどご利益があるとされ、夜が明けぬうちから人が訪れ、にぎわいを見せる参道では名物の厄除けだんごが売られる。

吉見百穴近くにある岩室観音では、お堂の奥にあるハート形の岩穴をくぐると、安産にご利益があるとされ、祈願に訪れる人が後を絶たない。

町内では、夏祭り「天王さま」や五穀豊穣を願うささら獅子舞が今に続いている。七夕にイネ科の植物マコモを編んで馬を作り、願いをかなえるために川へ流す風習があり、地域住民が小学生に伝えている地区もある。

川幅日本一の標柱

川幅日本一の標柱

埼玉県の中央部からやや東に位置し、町の面積は38.64㎢。荒川、市野川に囲まれ、かつては水害に悩まされたが、昭和10年代に護岸が整備されたことで、肥沃な穀倉地帯となり、農業が盛んな地域となった。町東部には田園地帯が広がり、町西部には自然豊かな丘陵地帯が広がっている。

吉見町大和田と鴻巣市滝馬室との間を流れる荒川の川幅(河川敷を含めたもの)は長さ2,537mあり、2008(平成20)年の国土交通省の調査で日本一の長さと確認された。これを記念し、川の両岸には、『川幅日本一』の標柱が設置された。

目に鮮やかな桜と菜の花(さくら堤公園)

目に鮮やかな桜と菜の花(さくら堤公園)

いちごの里よしみの愛称の通り、シーズンともなると、町のあちらこちらでいちご狩りが楽しめる。多くの人が立ち寄る道の駅では、ジャムやいちご大福、サンデーなど、イチゴを使った加工品が充実し、食堂ではカレーの上にいちごピューレをトッピングした「いちごカレーうどん」を提供している。隣接する農産物直売所では、宝石のようないちごが所狭しと並べられる。

年間通して多くの人が訪れる吉見百穴では、古墳時代に築かれた横穴墓群が見られる。吉見百穴には太平洋戦争末期、複数の巨大な地下壕が掘られ、飛行機のエンジン部分を製造するための地下軍需工場が建設された。現在は点検・調査のため軍需工場跡は立入禁止となっているが、ひんやりとした地下壕は、碁盤の目のように交差している。また、吉見百穴はヒカリゴケの自生地としても知られる。この貴重な植物は、国の天然記念物に指定されており、暗い穴の中で、かすかに光輝く。

四季折々の見どころも多い。春になると、1.8㎞の桜並木が奇麗なさくら堤公園では、同時期に咲く土手の菜の花とのコントラストが見事。秋の紅葉では、八丁湖の湖畔が見事に色づく。

伝範頼館跡の碑

伝範頼館跡の碑

平源頼朝の弟・範頼が、現在の息障院の建つ辺りを居館としていたと伝えられる。これに由来し、一帯の地名が御所となったといわれる。範頼は源平の合戦で活躍するも、頼朝に謀反の疑いをかけられて伊豆に流され、暗殺されたとされる。

2003(平成15)年、プロ野球・阪神タイガースに入団した久保田智之さん(1981~)は、中継ぎ投手として活躍。ジェフ・ウィリアムス投手、藤川球児投手とチームを多くの勝利に導き、3人の頭文字を取り、JFKの愛称で親しまれた。現在、同球団2軍投手コーチとして後進の指導に当たっている。ほかにも、芸能界で活躍するタレントの若槻千夏さん(1984~)らがいる。

 

木のぬくもりにあふれたぷらっとよしみ

木のぬくもりにあふれたぷらっとよしみ

近年、町の中央部に、生涯学習の拠点を整備するべく力を入れてきた。2005(平成17)年、近代的なホールを備えた町民会館フレサよしみを開館させると、11(平成23)年には子育て支援センター機能を併せ持ったよしみけやき保育所が完成。21(令和3)年には、図書館と公民館機能の複合施設として、図書交流館ぷらっとよしみが開館した。学びの支援体制、地域交流の場が整ったことで、今後は拠点を生かした取り組みを進めていく。

吉見町のデータ

人口 18,333人(令和4年3月1日現在)
世帯数 7,841(令和4年3月1日現在)
面積 38.64㎢
総生産額 728億3900万円(平成30年度)

取材協力:吉見町

滑川町地図

Copyright © saihokuyomiuri.

埼北よみうり新聞

2022年3月25日 記事掲載

埼北市町村ガイド

12.吉見町

Vol.12 吉見町

219基の横穴墓が見られる吉見百穴

219基の横穴墓が見られる吉見百穴

上空から見た松山城跡

上空から見た松山城跡

町に残る史跡の数々から、古代から多くの人が暮らしていた様子がうかがわれる。その代表的なものが国指定史跡吉見百穴。古墳時代後期から終末期(6世紀末~7世紀後半)に造られた横穴墓群で、219基の横穴墓が確認されている。このほか、同時代のものとされる黒岩横穴墓群(県指定)などが点在している。

平安時代には、源頼朝の弟の源範頼が、現在の息障院(吉見町御所)がある一帯に館を構えていたことから、伝範頼館跡として県指定旧跡となっている。範頼以降も、子範円から4代にわたり居館としていたと伝えられる。

15世紀末に築かれたとされる松山城跡も残されている。松山城は戦国時代、上杉、武田、後北条など、有力武将たちの攻防の舞台にもなった。現在でも本曲輪などの遺構が見られる。2008(平成20)年には、すでに国指定であった菅谷館(城)跡(嵐山町)に加わる形で、杉山城跡(嵐山町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)と並んで、比企城館跡群として国史跡に指定された。

町の成り立ちに目を向けると1954(昭和29)年、東吉見村、西吉見村、南吉見村、北吉見村の4村が合併し、吉見村となった。72(昭和47)年に町制が施行され、現在の吉見町が誕生した。

みずみずしい特産のいちご

みずみずしい特産のいちご

農業が主要産業。町の特産物として真っ先に名前が挙がるのがいちご。1955(昭和30)年から栽培が始まったとされる。県内有数の生産量を誇り、「いちごの里よしみ」として認知されている。主品種はとちおとめ、やよいひめ。2021(令和3)年、町内2軒の生産者により試験栽培が行われた県の新品種「べにたま」が、市場に初出荷された。糖度が高く、酸味が少ないのが特徴で、収穫量も多いことから、23(令和5)年の本格栽培へ向けて、多くの農家が取り組むことが期待されている。

米の生産も盛んで、15(平成27)年には、生産者と町が協働で米ネットいちごの里よしみ協議会を設立。インターネット販売サイトを立ち上げ、消費・販路拡大を目指している。

都心から50㎞圏内で、関越自動車道や圏央道とのアクセスの良さを生かし、企業誘致にも力を入れてきた。多くの企業が立地を進めたことで、雇用の増加が図られた。

荘厳な吉見観音(安楽寺)

荘厳な吉見観音(安楽寺)

伝統が息づく町として、様々な行事や風習が受け継がれている。

吉見観音として親しまれる坂東11番札所・安楽寺では、毎年6月18日、本尊ご開帳の日に、厄除け朝観音が催される。朝早くからお参りするほどご利益があるとされ、夜が明けぬうちから人が訪れ、にぎわいを見せる参道では名物の厄除けだんごが売られる。

吉見百穴近くにある岩室観音では、お堂の奥にあるハート形の岩穴をくぐると、安産にご利益があるとされ、祈願に訪れる人が後を絶たない。

町内では、夏祭り「天王さま」や五穀豊穣を願うささら獅子舞が今に続いている。七夕にイネ科の植物マコモを編んで馬を作り、願いをかなえるために川へ流す風習があり、地域住民が小学生に伝えている地区もある。

川幅日本一の標柱

川幅日本一の標柱

埼玉県の中央部からやや東に位置し、町の面積は38.64㎢。荒川、市野川に囲まれ、かつては水害に悩まされたが、昭和10年代に護岸が整備されたことで、肥沃な穀倉地帯となり、農業が盛んな地域となった。町東部には田園地帯が広がり、町西部には自然豊かな丘陵地帯が広がっている。

吉見町大和田と鴻巣市滝馬室との間を流れる荒川の川幅(河川敷を含めたもの)は長さ2,537mあり、2008(平成20)年の国土交通省の調査で日本一の長さと確認された。これを記念し、川の両岸には、『川幅日本一』の標柱が設置された。

目に鮮やかな桜と菜の花(さくら堤公園)

目に鮮やかな桜と菜の花(さくら堤公園)

いちごの里よしみの愛称の通り、シーズンともなると、町のあちらこちらでいちご狩りが楽しめる。多くの人が立ち寄る道の駅では、ジャムやいちご大福、サンデーなど、イチゴを使った加工品が充実し、食堂ではカレーの上にいちごピューレをトッピングした「いちごカレーうどん」を提供している。隣接する農産物直売所では、宝石のようないちごが所狭しと並べられる。

年間通して多くの人が訪れる吉見百穴では、古墳時代に築かれた横穴墓群が見られる。吉見百穴には太平洋戦争末期、複数の巨大な地下壕が掘られ、飛行機のエンジン部分を製造するための地下軍需工場が建設された。現在は点検・調査のため軍需工場跡は立入禁止となっているが、ひんやりとした地下壕は、碁盤の目のように交差している。また、吉見百穴はヒカリゴケの自生地としても知られる。この貴重な植物は、国の天然記念物に指定されており、暗い穴の中で、かすかに光輝く。

伝範頼館跡の碑

伝範頼館跡の碑

平安末期から鎌倉時代に活躍した木曽義仲(幼名駒王丸 1154~84年)は、父源義賢の居館である大蔵館が焼き討ちに遭い、2歳で木曽に逃れた。平氏討伐で名を上げ、征夷大将軍に任命された。斑渓寺は、妻山吹姫が義仲、息子義高を弔うために創建したとされる。同時代、深谷市で生まれたとされる畠山重忠(1164~1205年)は、菅谷館に住んでいたとされる。多くの信望を集め「武士の鑑」と評された。

Jリーグでは出身選手が活躍。J1・ジュビロ磐田に黒川淳史選手(1998年~)が、J2・東京ヴェルディには小池純輝選手(1987年~)が所属する。小池選手は2021年のJ2リーグで、日本人選手最多となる17得点を挙げた。

伝範頼館跡の碑

伝範頼館跡の碑

平源頼朝の弟・範頼が、現在の息障院の建つ辺りを居館としていたと伝えられる。これに由来し、一帯の地名が御所となったといわれる。範頼は源平の合戦で活躍するも、頼朝に謀反の疑いをかけられて伊豆に流され、暗殺されたとされる。

2003(平成15)年、プロ野球・阪神タイガースに入団した久保田智之さん(1981~)は、中継ぎ投手として活躍。ジェフ・ウィリアムス投手、藤川球児投手とチームを多くの勝利に導き、3人の頭文字を取り、JFKの愛称で親しまれた。現在、同球団2軍投手コーチとして後進の指導に当たっている。ほかにも、芸能界で活躍するタレントの若槻千夏さん(1984~)らがいる。

吉見町のデータ

嵐山町地図
人口 18,333人(令和4年3月1日現在)
世帯数 7,841(令和4年3月1日現在)
面積 38.64㎢
総生産額 728億3900万円(平成30年度)

取材協力:吉見町