2021年7月23日 記事掲載
埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。
塙保己一
本庄市内から発見された最古の遺物は2万年ほど前の旧石器で、ナイフ形石器などが出土している。古墳時代には数多くの集落が形成され、600基以上の古 墳が築かれた。小島前の山古墳からは全国的にも珍しい笑う盾持人物埴輪が出土している。
奈良時代には、現在の本庄市域の大半が武蔵国児玉郡に編入され、 平安時代の終わりごろには武蔵七党の一つ児玉党が勃興。鎌倉時代になると史料に「本庄」の地名があらわれるようになる。市内の各地に残る「鎌倉街道」は、この地域が交通の要衝であったことを物語る。
室町時代の末期には、市内児玉町八幡山に関東管領・山内上杉氏によって雉岡城が築城された。戦国時代には、児玉党の末裔とされる本庄実忠が現在の市役所付近に本庄城を築き、雉岡城は後北条氏の支配下に置かれた。両城は、戦国時代末期から江戸時代の初頭にかけて落城や転封のために廃城となった。
江戸時代のはじめには、本庄城の南に新たに中山道、雉岡城の東には鎌倉街道をもとに中山道脇往還川越道が整備された。中山道本庄宿はにぎわいをみせ、天保年間には中山道最大の宿場町となった。さらに、明治の近代化とともに、養蚕の町として発展の一途をたどっていった。
中山道分間延絵図・本庄宿(模写)
競進社模範蚕室
本庄宿は、1843(天保14)年に戸数1,212戸の中山道最大の宿場町に発展。明治時代には、江戸時代から盛んだった養蚕業を基礎に、本庄地区に生繭の市場が開設された。児玉地区には、養蚕家・木村九蔵によって養蚕伝習所(競進社模範蚕室)が設けられた。養蚕技術の研究と指導が行われ、一派温暖育という新しい飼育法を考案し、繭の収穫を向上させた。
現在では、首都圏近郊都市として発展し、児玉工業団地・いまい台産業団地などの産業集積地の造成、大手ホームセンターが本社を構えるなど児玉郡市周辺の商工業の中心を担っている。
利根川が育んだ肥沃な土地を有し、農業が盛んな地域となっている。キュウリやナス、タマネギ、レタス、イチゴ、 メロンなどさまざまな農産物が生産されている。花き栽培も盛んで、ポインセチア、ゴールドクレスト、洋ラン、ガーデンシクラメンなど鉢物は全国有数の産地として知られる。
本庄早稲田の杜ミュージアム
2004(平成16)年には、新幹線駅・本庄早稲田駅が開業し、東京駅までのアクセスは最速49分。駅周辺には、早稲田大学の教育・研究施設、関連する諸施設がある。昨年には、本庄市と早稲田大学が運営する「本庄早稲田の杜ミュージアム」が開館し、本庄の歴史を伝える考古史料、早稲田大学所蔵の貴重な史料を展示。学園都市として新たな顔をのぞかせている。
本庄早稲田の杜ミュージアム館内
郷土料理は、かつて養蚕が盛んだった頃に仕事の合間に食べられてきた「つみっこ」が代表格。「すいとん」のような料理で、練った小麦粉を団子状にする「つみとる」の方言からその名が付けられたといわれている。たっぷりの地元野菜と一緒に煮込んだ味わい深い一品。
つみっこ
本庄早稲田駅北口
県西北部に位置する本庄市の面積は89.69㎢で、地形は概ね平坦で安定した地盤を有している。秩父地域などとの境界に近い南西部は、陣見山など500mほどの山々が連なる山村地。北は、主に利根川をはさんで群馬県伊勢崎市に接している。
気候は、雨量が夏に多く冬に少ない東日本型気候で、水と緑豊かな自然環境に恵まれ、自然災害の少ない地域となっている。
JR高崎線・八高線・上越新幹線、関越自動車道本庄児玉インターチェンジや国道17号・254号・462号などの主要道が縦横に走り、東京と上信越方面を結ぶ交通の要衝となっている。
本庄まつり
本庄・児玉両地区では、夏と秋にそれぞれ盛大な祭りが執り行われる。
中山道最大の宿場町として栄えた本庄宿の総鎮守・金鑚神社の例大祭「本庄まつり」(11月2日、3日)は、絢爛豪華な10基の江戸型人形山車が、子どもらの奏でるお囃子に合わせて晩秋の中山道を優雅に巡行、市街地各所でお囃子の叩き合いが繰り広げられる。山車が勢ぞろいする場面は、時代絵巻を見るような華やかさ。
八坂の祇園祭と呼ばれる「こだま夏まつり」(7月13日直後の日曜)では、9基のみこしが市街地を練り歩く。「ケンカみこし」として知られ、2基、3基の神輿が担ぎ棒を組ませて押し合う荒々しい姿が見どころ。勇ましいかけ声とともに辺りは熱気に包まれる。
約5㎞にわたって小山川の両岸に桜並木が続く「こだま千本桜」、樹齢650年以上、花房が1.5mもの長さに垂れる「骨波田の藤」など花の名所も点在し、東日本に残る最古の農業用重力式コンクリートダムが織りなす間瀬湖、日本三大さざえ堂の一つで、西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音を祀った「成身院百体観音堂」など見どころが多い。
こだま夏まつり
江戸時代の国学者で、埼玉ゆかりの三偉人と称される塙保己一は、保木野村(現本庄市児玉町保木野)の生まれ。7歳の頃に病で失明するも学問の道へ進み、散逸・焼失の恐れのあった貴重な文献をまとめた「群書類従」を編さん。国学の研究拠点「和学講談所」の開設、視覚障害者の互助組織「当道座」の最高責任者で大名格の総検校を務めるなど多くの偉業を成し遂げた。今年9月には没後200周年を迎え、命日を前に様々な顕彰事業が実施されている。
さらに、近代産業の振興に貢献した実業家の諸井恒平、社会思想家の石川三四郎らも輩出している。現代では、演歌歌手の松川未樹さん、プロサッカー選手の内田航平さん、女優の黛英里佳さん、井上小百合さんら各界で活躍する人物がいる。
小学生とパラ選手が交流
本庄市では、2018年に新たな総合振興計画を策定し、10年後の未来を見据えたまちづくりを行っている。
盲目の国学者・塙保己一の生誕の地であり、まちづくりの基本理念の一つに「みんなで育む安心・共生のまちづくり」を掲げる。市民ニーズに応えた楽しく子育てができる魅力的な環境の提供、教育の質を向上させるとともに、学校・家庭・地域との連携を強化し、協働して子どもたちの成長を支えたいとしている。高齢化社会を踏まえ、誰もが生きがいをもって社会で活躍できる環境の実現、障害のあるなしにかかわらず全ての人が社会参加でき、悩んでいる人を理解し、温かく支えられる社会福祉の実現を目指している。
東京パラリンピックを前に、「共生社会ホストタウン」に登録し、トルコ共和国の選手と市民らがオンライン交流などをしている。
人口 | 77,815人(令和3年7月1日現在) |
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世帯数 | 35,296(令和3年7月1日現在) |
面積 | 89.69㎢ |
総生産額 | 3,650億4,974万円(平成30年度) |
取材協力:本庄市
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2021年7月23日 記事掲載
埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。
塙保己一
本庄市内から発見された最古の遺物は2万年ほど前の旧石器で、ナイフ形石器などが出土している。古墳時代には数多くの集落が形成され、600基以上の古 墳が築かれた。小島前の山古墳からは全国的にも珍しい笑う盾持人物埴輪が出土している。
奈良時代には、現在の本庄市域の大半が武蔵国児玉郡に編入され、 平安時代の終わりごろには武蔵七党の一つ児玉党が勃興。鎌倉時代になると史料に「本庄」の地名があらわれるようになる。市内の各地に残る「鎌倉街道」は、この地域が交通の要衝であったことを物語る。
室町時代の末期には、市内児玉町八幡山に関東管領・山内上杉氏によって雉岡城が築城された。戦国時代には、児玉党の末裔とされる本庄実忠が現在の市役所付近に本庄城を築き、雉岡城は後北条氏の支配下に置かれた。両城は、戦国時代末期から江戸時代の初頭にかけて落城や転封のために廃城となった。
江戸時代のはじめには、本庄城の南に新たに中山道、雉岡城の東には鎌倉街道をもとに中山道脇往還川越道が整備された。中山道本庄宿はにぎわいをみせ、天保年間には中山道最大の宿場町となった。さらに、明治の近代化とともに、養蚕の町として発展の一途をたどっていった。
中山道分間延絵図・本庄宿(模写)
競進社模範蚕室
本庄宿は、1843(天保14)年に戸数1,212戸の中山道最大の宿場町に発展。明治時代には、江戸時代から盛んだった養蚕業を基礎に、本庄地区に生繭の市場が開設された。児玉地区には、養蚕家・木村九蔵によって養蚕伝習所(競進社模範蚕室)が設けられた。養蚕技術の研究と指導が行われ、一派温暖育という新しい飼育法を考案し、繭の収穫を向上させた。
現在では、首都圏近郊都市として発展し、児玉工業団地・いまい台産業団地などの産業集積地の造成、大手ホームセンターが本社を構えるなど児玉郡市周辺の商工業の中心を担っている。
利根川が育んだ肥沃な土地を有し、農業が盛んな地域となっている。キュウリやナス、タマネギ、レタス、イチゴ、 メロンなどさまざまな農産物が生産されている。花き栽培も盛んで、ポインセチア、ゴールドクレスト、洋ラン、ガーデンシクラメンなど鉢物は全国有数の産地として知られる。
農業分野では、一大消費地である東京に近接し、交通インフラも充実していることから、露地野菜の生産が盛んで、県内屈指の農業産出額を誇る。現在では農業の法人化・大規模化の支援を始め、特産の「やまといも」や「妻沼ねぎ」のさらなるブランド化の推進、農産物の6次産業化に取り組んでいる。
埼玉県は、うどんの生産量が香川県に次いで全国2位で、特に熊谷地域の小麦収穫量は本州トップレベルとなっている。古くから二毛作が行われ、関東圏で有数の穀倉地帯であった。近世以降、小麦を原料とした、うどんやフライなどの郷土料理が広まり、人々の生活に息づいている。
本庄早稲田の杜ミュージアム
2004(平成16)年には、新幹線駅・本庄早稲田駅が開業し、東京駅までのアクセスは最速49分。駅周辺には、早稲田大学の教育・研究施設、関連する諸施設がある。昨年には、本庄市と早稲田大学が運営する「本庄早稲田の杜ミュージアム」が開館し、本庄の歴史を伝える考古史料、早稲田大学所蔵の貴重な史料を展示。学園都市として新たな顔をのぞかせている。
本庄早稲田の杜ミュージアム館内
郷土料理は、かつて養蚕が盛んだった頃に仕事の合間に食べられてきた「つみっこ」が代表格。「すいとん」のような料理で、練った小麦粉を団子状にする「つみとる」の方言からその名が付けられたといわれている。たっぷりの地元野菜と一緒に煮込んだ味わい深い一品。
つみっこ
本庄早稲田駅北口
県西北部に位置する本庄市の面積は89.69㎢で、地形は概ね平坦で安定した地盤を有している。秩父地域などとの境界に近い南西部は、陣見山など500mほどの山々が連なる山村地。北は、主に利根川をはさんで群馬県伊勢崎市に接している。
気候は、雨量が夏に多く冬に少ない東日本型気候で、水と緑豊かな自然環境に恵まれ、自然災害の少ない地域となっている。
JR高崎線・八高線・上越新幹線、関越自動車道本庄児玉インターチェンジや国道17号・254号・462号などの主要道が縦横に走り、東京と上信越方面を結ぶ交通の要衝となっている。
本庄まつり
本庄・児玉両地区では、夏と秋にそれぞれ盛大な祭りが執り行われる。
中山道最大の宿場町として栄えた本庄宿の総鎮守・金鑚神社の例大祭「本庄まつり」(11月2日、3日)は、絢爛豪華な10基の江戸型人形山車が、子どもらの奏でるお囃子に合わせて晩秋の中山道を優雅に巡行、市街地各所でお囃子の叩き合いが繰り広げられる。山車が勢ぞろいする場面は、時代絵巻を見るような華やかさ。
八坂の祇園祭と呼ばれる「こだま夏まつり」(7月13日直後の日曜)では、9基のみこしが市街地を練り歩く。「ケンカみこし」として知られ、2基、3基の神輿が担ぎ棒を組ませて押し合う荒々しい姿が見どころ。勇ましいかけ声とともに辺りは熱気に包まれる。
約5㎞にわたって小山川の両岸に桜並木が続く「こだま千本桜」、樹齢650年以上、花房が1.5mもの長さに垂れる「骨波田の藤」など花の名所も点在し、東日本に残る最古の農業用重力式コンクリートダムが織りなす間瀬湖、日本三大さざえ堂の一つで、西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音を祀った「成身院百体観音堂」など見どころが多い。
こだま夏まつり
江戸時代の国学者で、埼玉ゆかりの三偉人と称される塙保己一は、保木野村(現本庄市児玉町保木野)の生まれ。7歳の頃に病で失明するも学問の道へ進み、散逸・焼失の恐れのあった貴重な文献をまとめた「群書類従」を編さん。国学の研究拠点「和学講談所」の開設、視覚障害者の互助組織「当道座」の最高責任者で大名格の総検校を務めるなど多くの偉業を成し遂げた。今年9月には没後200周年を迎え、命日を前に様々な顕彰事業が実施されている。
さらに、近代産業の振興に貢献した実業家の諸井恒平、社会思想家の石川三四郎らも輩出している。現代では、演歌歌手の松川未樹さん、プロサッカー選手の内田航平さん、女優の黛英里佳さん、井上小百合さんら各界で活躍する人物がいる。
小学生とパラ選手が交流
本庄市では、2018年に新たな総合振興計画を策定し、10年後の未来を見据えたまちづくりを行っている。
盲目の国学者・塙保己一の生誕の地であり、まちづくりの基本理念の一つに「みんなで育む安心・共生のまちづくり」を掲げる。市民ニーズに応えた楽しく子育てができる魅力的な環境の提供、教育の質を向上させるとともに、学校・家庭・地域との連携を強化し、協働して子どもたちの成長を支えたいとしている。高齢化社会を踏まえ、誰もが生きがいをもって社会で活躍できる環境の実現、障害のあるなしにかかわらず全ての人が社会参加でき、悩んでいる人を理解し、温かく支えられる社会福祉の実現を目指している。
東京パラリンピックを前に、「共生社会ホストタウン」に登録し、トルコ共和国の選手と市民らがオンライン交流などをしている。
人口 | 77,815人(令和3年7月1日現在) |
---|---|
世帯数 | 35,296(令和3年7月1日現在) |
面積 | 89.69㎢ |
総生産額 | 3,650億4,974万円(平成30年度) |
取材協力:本庄市