2022年4月22日 記事掲載
埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。
慈光寺本堂
ときがわ町内には縄文時代の遺跡が数多く点在することから、古くから人々の営みがあったと推測される。
町の歴史を語る上で欠かせないのが関東屈指の古刹「慈光寺」。およそ1,300年前に鑑真の高弟である釈道忠によって開山したと伝わり、清和天皇からは「天台別院一乗法華院」の勅額を与えられた。清和源氏の流れをくむ源頼朝も信仰し厚く庇護、この頃には一山75坊を擁する大寺院として隆盛を極めた。寺の西へ林道を進むと、鎌倉時代の僧・栄朝によって創建された関東最古の禅寺とされている霊山院もある。
町の北東部にある「小倉城跡」は戦国時代に築かれたとされる山城。周囲に大きく蛇行する槻川が流れ、山地の自然地形を生かした天然の要害として高く評価され、国の史跡に指定されている。立地環境から河川交通と陸上交通を監視する役目を担っていたと考えられている。
2006(平成18)年2月に都幾川村と玉川村が合併し、現在のときがわ町となった。
小倉城跡
ときがわ建具
町の伝統産業としてあげられるのが県内有数の生産量を誇る木工建具。そのルーツは鎌倉時代にまで遡る。慈光寺が源頼朝の手厚い庇護を受け大きく拡張、このとき堂塔建設のため幕府の命により伊豆から「番匠」という木工技術者が来て、巧みな技術を駆使して立派な建物を造り上げた。その後、子孫たちがこの地に定住し高度な建具技術を伝えていった。明治維新後、高級住宅の建設増加に伴って伝統の技術が生かされた木工品が出回るようになると、ときがわ建具の名は広く知れ渡るようになり、良質な建具を供給する地域として知られるようになった。町内にある「建具会館」では職人がつくった木工建具や木工作品が展示販売されている。
法華経一品経
歴史ある慈光寺には多くの貴重な文化財が残されている。その代表格が、国宝の「法華経一品経・阿弥陀経・般若心経」。鎌倉時代に九条家ゆかりの人々を中心に後鳥羽上皇も加わり書写・奉納されたと推定され、慈光寺経とも呼ばれ、平家納経と久能寺経とともに日本三大装飾経の一つとされている。そのほか、871(貞観13)年に前上野国大目安部小水麿が願主となって作成された「紙本墨書大般若経」(国重要文化財)や、1295(永仁3)年に慶派仏師光慶が制作したとされる「木造聖僧文殊坐像」(県指定文化財)など、多数の貴重な文化財を有している。
町を代表するまつり「萩日吉神社のやぶさめ」(県指定無形文化財)は鎌倉時代の1233(天福元)年に木曽義仲の家臣によって奉納されたのが始まりとされている。現在は3年に一度、1月の第3日曜日に開催されていて、疾走する馬上から的に向かって矢を射る勇壮な姿を見ようと多くの見物客でにぎわう。次回は令和5年1月に開催予定。
音楽家を中心にときがわ町に移住してくる芸術家が多いそうで、市民団体が中心となって〝アートによる町おこし〟をキーワードに2015(平成27)年から芸術をテーマにしたイベント「Artokigawa(あ~ときがわ)」を開催。新型コロナウイルスの影響で一昨年、昨年は中止だったが、今年は4月16日と17日に3年ぶりに開催された。
萩日吉神社のやぶさめ
町の東部
首都圏から約60㎞で、面積は55.90㎢。町名の由来にもなっている都幾川が町のほぼ中央を西から東に流れている。面積の約7割を山林が占め、スギ・ヒノキを中心に優良な森林資源となっている。町の西側に連なる山々の主峰・堂平山は町内で最も高い地点で、関東平野を一望できる景観スポットとなっている。
堂平天文台「星と緑の創造センター」
旧国立天文台堂平観測所を整備した堂平天文台「星と緑の創造センター」は、天体観測やキャンプができる施設として人気。
町内には豊かな自然を生かした観光スポットが目立つ。三波渓谷は都幾川の清流が織りなす見事な景観が特徴の渓谷で、新緑や紅葉が美しく夏季は水遊びを楽しむ人も多い。また、「ときたまひみつきちKOMORIVER(コモリバ)」や「木のむらキャンプ場」といったキャンプ施設、「都幾川四季彩館バーベキュー場」や「川の広場バーベキュー場」といったバーベキュー場なども充実。ときがわ花菖蒲園や椚平の秋海棠、慈光山歴史公園のシャガといった季節の花スポットも多い。
近年は多くのサイクリストも同町を訪れている。2004(平成16)年の埼玉国体の自転車競技のコースになったことがきっかけだそうで、リタイヤ選手が続出するなどアップダウンの激しい過酷なコースだったことから、難関コースに挑戦するサイクリストが増えているそうだ。
三栖右嗣氏
洋画家の三栖右嗣氏(1927~2010年)がゆかりの人物として知られる。出身は神奈川県だが、1982年にときがわ町に転居しアトリエを構えた。「コスモスの画家」とも呼ばれ野の花や朽ちるリンゴなどを描き、生命のドラマを表現し続けた。
栄養士による小学校での食に関する授業
現在ときがわ町が力を入れているのが食と教育。〝食と教育で選ばれる町〟を施策として、子どもが食に関心を持つような学校給食の考案や栄養士による食に関する授業、学力テストで優秀な成績を収めた都道府県へ教職員を研修派遣させるなどの取り組みを行っている。
また、おためし住宅「やまんなか」とシェアハウス「まちんなか」を開設し、ときがわ町への移住者を増やす事業も続けている。ときがわ町での暮らしを実際に体験してもらい、人口増加につなげたいとしている。
さらに、ときがわ町での起業者を応援しようと「ときがわ町起業支援施設」(ioffice)を設置。町内への事業進出、起業、事業拡大を目指す人への支援や相談受付などを行っている。
人口 | 10,728人(令和4年4月1日現在) |
---|---|
世帯数 | 4,736(令和4年4月1日現在) |
面積 | 55.90㎢ |
総生産額 | 363億1200万円(平成30年度) |
取材協力:ときがわ町
Copyright © saihokuyomiuri.
2022年4月22日 記事掲載
埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。
慈光寺本堂
ときがわ町内には縄文時代の遺跡が数多く点在することから、古くから人々の営みがあったと推測される。
町の歴史を語る上で欠かせないのが関東屈指の古刹「慈光寺」。およそ1,300年前に鑑真の高弟である釈道忠によって開山したと伝わり、清和天皇からは「天台別院一乗法華院」の勅額を与えられた。清和源氏の流れをくむ源頼朝も信仰し厚く庇護、この頃には一山75坊を擁する大寺院として隆盛を極めた。寺の西へ林道を進むと、鎌倉時代の僧・栄朝によって創建された関東最古の禅寺とされている霊山院もある。
町の北東部にある「小倉城跡」は戦国時代に築かれたとされる山城。周囲に大きく蛇行する槻川が流れ、山地の自然地形を生かした天然の要害として高く評価され、国の史跡に指定されている。立地環境から河川交通と陸上交通を監視する役目を担っていたと考えられている。
2006(平成18)年2月に都幾川村と玉川村が合併し、現在のときがわ町となった。
小倉城跡
ときがわ建具
町の伝統産業としてあげられるのが県内有数の生産量を誇る木工建具。そのルーツは鎌倉時代にまで遡る。慈光寺が源頼朝の手厚い庇護を受け大きく拡張、このとき堂塔建設のため幕府の命により伊豆から「番匠」という木工技術者が来て、巧みな技術を駆使して立派な建物を造り上げた。その後、子孫たちがこの地に定住し高度な建具技術を伝えていった。明治維新後、高級住宅の建設増加に伴って伝統の技術が生かされた木工品が出回るようになると、ときがわ建具の名は広く知れ渡るようになり、良質な建具を供給する地域として知られるようになった。町内にある「建具会館」では職人がつくった木工建具や木工作品が展示販売されている。
法華経一品経
歴史ある慈光寺には多くの貴重な文化財が残されている。その代表格が、国宝の「法華経一品経・阿弥陀経・般若心経」。鎌倉時代に九条家ゆかりの人々を中心に後鳥羽上皇も加わり書写・奉納されたと推定され、慈光寺経とも呼ばれ、平家納経と久能寺経とともに日本三大装飾経の一つとされている。そのほか、871(貞観13)年に前上野国大目安部小水麿が願主となって作成された「紙本墨書大般若経」(国重要文化財)や、1295(永仁3)年に慶派仏師光慶が制作したとされる「木造聖僧文殊坐像」(県指定文化財)など、多数の貴重な文化財を有している。
町を代表するまつり「萩日吉神社のやぶさめ」(県指定無形文化財)は鎌倉時代の1233(天福元)年に木曽義仲の家臣によって奉納されたのが始まりとされている。現在は3年に一度、1月の第3日曜日に開催されていて、疾走する馬上から的に向かって矢を射る勇壮な姿を見ようと多くの見物客でにぎわう。次回は令和5年1月に開催予定。
音楽家を中心にときがわ町に移住してくる芸術家が多いそうで、市民団体が中心となって〝アートによる町おこし〟をキーワードに2015(平成27)年から芸術をテーマにしたイベント「Artokigawa(あ~ときがわ)」を開催。新型コロナウイルスの影響で一昨年、昨年は中止だったが、今年は4月16日と17日に3年ぶりに開催された。
萩日吉神社のやぶさめ
町の東部
首都圏から約60㎞で、面積は55.90㎢。町名の由来にもなっている都幾川が町のほぼ中央を西から東に流れている。面積の約7割を山林が占め、スギ・ヒノキを中心に優良な森林資源となっている。町の西側に連なる山々の主峰・堂平山は町内で最も高い地点で、関東平野を一望できる景観スポットとなっている。
堂平天文台「星と緑の創造センター」
旧国立天文台堂平観測所を整備した堂平天文台「星と緑の創造センター」は、天体観測やキャンプができる施設として人気。
町内には豊かな自然を生かした観光スポットが目立つ。三波渓谷は都幾川の清流が織りなす見事な景観が特徴の渓谷で、新緑や紅葉が美しく夏季は水遊びを楽しむ人も多い。また、「ときたまひみつきちKOMORIVER(コモリバ)」や「木のむらキャンプ場」といったキャンプ施設、「都幾川四季彩館バーベキュー場」や「川の広場バーベキュー場」といったバーベキュー場なども充実。ときがわ花菖蒲園や椚平の秋海棠、慈光山歴史公園のシャガといった季節の花スポットも多い。
近年は多くのサイクリストも同町を訪れている。2004(平成16)年の埼玉国体の自転車競技のコースになったことがきっかけだそうで、リタイヤ選手が続出するなどアップダウンの激しい過酷なコースだったことから、難関コースに挑戦するサイクリストが増えているそうだ。
三栖右嗣氏
洋画家の三栖右嗣氏(1927~2010年)がゆかりの人物として知られる。出身は神奈川県だが、1982年にときがわ町に転居しアトリエを構えた。「コスモスの画家」とも呼ばれ野の花や朽ちるリンゴなどを描き、生命のドラマを表現し続けた。
栄養士による小学校での食に関する授業
現在ときがわ町が力を入れているのが食と教育。〝食と教育で選ばれる町〟を施策として、子どもが食に関心を持つような学校給食の考案や栄養士による食に関する授業、学力テストで優秀な成績を収めた都道府県へ教職員を研修派遣させるなどの取り組みを行っている。
また、おためし住宅「やまんなか」とシェアハウス「まちんなか」を開設し、ときがわ町への移住者を増やす事業も続けている。ときがわ町での暮らしを実際に体験してもらい、人口増加につなげたいとしている。
さらに、ときがわ町での起業者を応援しようと「ときがわ町起業支援施設」(ioffice)を設置。町内への事業進出、起業、事業拡大を目指す人への支援や相談受付などを行っている。
人口 | 10,728人(令和4年4月1日現在) |
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世帯数 | 4,736(令和4年4月1日現在) |
面積 | 55.90㎢ |
総生産額 | 363億1200万円(平成30年度) |
取材協力:ときがわ町