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2022年2月25日 記事掲載

埼北市町村ガイド

埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。

Vol.11 小川町

伝統工芸の和紙

伝統工芸の和紙

国指定史跡の下里・青山板碑製作遺跡と板碑

国指定史跡の下里・青山板碑製作遺跡と板碑

小川町の歴史は古く、町内には縄文時代から、古墳、奈良、平安時代にかけての遺跡や古墳が多数残されている。

中世になると、現在の下里・青山地区が板碑(石で造る供養塔)の材料である緑泥石片岩の一大産出地となり、町内にもたくさんの板碑が造立。現在でも1,000基以上あり、国や町の指定文化財となっている。また、鎌倉街道上道が整備され、地形を生かした山城が多く築かれた。

近世に入ると和紙や絹などの地場産業が発達し町場が形成され、一と六がつく日には「市」が開かれにぎわいをみせた。

昭和30年、小川町、大河村、竹沢村、八和田村の1町3村が合併、翌年に寄居町大字西古里と鷹巣の各一部が編入され、現在に至る。

ホンダのエンジン工場

ホンダのエンジン工場

小川町の伝統産業として有名なのが和紙で、およそ1,300年前に紙すきの技術が伝わったとされている。江戸時代になると商人の帳簿としての需要が高まり、江戸から最も近い産地として隆盛を極めた。時代の流れとともに和紙の需要は減少していったが、現在は伝統工芸品として大切に受け継がれ、美術工芸などで使われている。2014年、楮のみを使用する「細川紙」の技術がユネスコの無形文化遺産に登録された。

東証一部上場の衣料品小売「しまむら」やスーパー「ヤオコー」は小川町が発祥。しまむらは1953年呉服販売の個人商店を株式会社に組織変更し(株)島村呉服店」として設立、61年に「しまむら」を東松山市に開業しチェーン展開を図った。現在グループ店舗を含め全国に約2,200店を展開している。また、ヤオコーは1890年に八百屋「八百幸商店」として創業、1972年町内に1号店を開業、現在関連店舗を含め関東に約180店を展開している。

農業も盛んで、特に下里地区は有機農業の地として知られている。50年ほど前から有機農業を続けている金子美登さんによって地域に浸透、「霜里農場」でたくさんの研修生を育ててきた。

良質な水や盆地特有の気候が酒づくりに適しているため〝関東灘〟の異名を誇り、町内には3つの酒蔵のほか、ワインやビールの醸造所もある。

2009年には本田技研工業のエンジン工場が進出している。

仙覚律師顕彰碑

仙覚律師顕彰碑

国内最古の歌集「万葉集」の注釈書「万葉集註釈」は小川町で完成したと伝わっている。万葉集の研究をしていた鎌倉時代の僧・仙覚は、読み方のわからなくなっていた152首を読めるようにし、1269年に「万葉集註釈」を完成させた。町内の中城と呼ばれる中世の城跡には偉業を顕彰した碑が建てられている。

名物料理として「忠七めし」や「女郎うなぎ」がある。忠七めしは幕末から明治初期にかけて活躍した山岡鉄舟が割烹旅館二葉に作らせたものと伝えられている。また女郎うなぎは、割烹旅館福助が吉原の遊女の面倒を見たことからその元遊女の生家に伝わる秘伝のタレが伝授され、「女郎うなぎ」として名物になったとされている。どちらも現在各店で提供されている。

町の全景

町の全景

都心から約60㎞に位置し、面積は60・36㎢。

緑豊かな外秩父の山々に囲まれた盆地となっていて、市街地中央には槻川が流れている。美しい山と川の地理的要件、国指定重要文化財などの文化と歴史的要件、和紙などの伝統産業の要件を満たしたことから、1996年に全国京都会議に加盟。町内各所には赴きある建物が点在し、盆地特有の気候が作り出す風情が楽しめることなどから「武蔵の小京都」の愛称で親しまれている。

埼玉伝統工芸会館

埼玉伝統工芸会館

埼玉伝統工芸会館(小川町小川1220 9:00~17:00 月曜休館)では県指定の伝統的手工芸品が展示されていて、年間を通じて多くの人が訪れる。小川町特産和紙の紙すき体験や和紙をはじめとした物産品の販売も行っている。併設する道の駅おがわまちでは、本格的な手打ちうどんとそばが人気。

町を代表するお祭りとしてあげられるのが、毎年夏に開催される「小川町七夕まつり」。特産の和紙で作る七夕飾りが商店街など町内各地に設置され、花火の打ち上げなどもあり、毎年多くの見物客でにぎわう。

小川町七夕まつり

小川町七夕まつり

金子美登さん

金子美登さん

「しまむら」の創業者である島村恒俊さんは経営していた島村呉服店を経営転換、衣料品店「しまむら」を東松山市に開業し、東証1部上場会社にまで大きくした。同じく東証1部上場「ヤオコー」の会長・川野幸夫さんは、家業である八百屋からスーパーマーケットのヤオコーを創業、現在スーパーマーケット協会の会長も務めている。

有機農業の先駆者として知られる金子美登さんは50年ほど前から下里地区で有機農業に取り組んでいる。霜里農場では多くの研修生を指導、同地区全体を一大有機農業の地にした。

 

若者未来会議

若者未来会議

小川町は、次代の担い手となる若者世代から多様な意見を聞き可能な限り反映していきたいとの思いから、「小川町まち・ひと・しごと創生総合戦略若者未来会議」を令和元年度に設置。第1期(令和元年度)では、主にシティプロモーションについての提案をとりまとめ町長に伝達。第2期(令和2、3年度)では活動期間を2年間とし、提案だけで終わらせず、小川町をより良くするアイデアをメンバー自身で考え、実現可能な内容は自主的に企画・実践していくことを目指しスタート。町内外の若者16人が2班に分かれ、本年度は企画の実現を目指して活動。同世代の若者へ小川町の魅力を発信するため、町内の飲食店紹介動画やチラシ、町の魅力を紹介するフォトブックの制作を行った。

また、町内の小・中・高生が地域の歴史や文化、産業などを知り、段階的に学びを深めながら地域活動への参画を深めていく「おがわ学」という取り組みも推進。地元への愛着や誇り、地域課題の解決に取り組む能力を育むことを目的としている。

小川町のデータ

人口 28,602人(令和4年2月1日現在)
世帯数 13,018(令和4年2月1日現在)
面積 60.36㎢
総生産額 777億800万円(平成30年度)

取材協力:小川町

滑川町地図

Copyright © saihokuyomiuri.

埼北よみうり新聞

2022年2月25日 記事掲載

埼北市町村ガイド

11.小川町

Vol.11 小川町

伝統工芸の和紙

伝統工芸の和紙

国指定史跡の下里・青山板碑製作遺跡と板碑

国指定史跡の下里・青山板碑製作遺跡と板碑

小川町の歴史は古く、町内には縄文時代から、古墳、奈良、平安時代にかけての遺跡や古墳が多数残されている。

中世になると、現在の下里・青山地区が板碑(石で造る供養塔)の材料である緑泥石片岩の一大産出地となり、町内にもたくさんの板碑が造立。現在でも1,000基以上あり、国や町の指定文化財となっている。また、鎌倉街道上道が整備され、地形を生かした山城が多く築かれた。

近世に入ると和紙や絹などの地場産業が発達し町場が形成され、一と六がつく日には「市」が開かれにぎわいをみせた。

昭和30年、小川町、大河村、竹沢村、八和田村の1町3村が合併、翌年に寄居町大字西古里と鷹巣の各一部が編入され、現在に至る。

ホンダのエンジン工場

ホンダのエンジン工場

小川町の伝統産業として有名なのが和紙で、およそ1,300年前に紙すきの技術が伝わったとされている。江戸時代になると商人の帳簿としての需要が高まり、江戸から最も近い産地として隆盛を極めた。時代の流れとともに和紙の需要は減少していったが、現在は伝統工芸品として大切に受け継がれ、美術工芸などで使われている。2014年、楮のみを使用する「細川紙」の技術がユネスコの無形文化遺産に登録された。

東証一部上場の衣料品小売「しまむら」やスーパー「ヤオコー」は小川町が発祥。しまむらは1953年呉服販売の個人商店を株式会社に組織変更し(株)島村呉服店」として設立、61年に「しまむら」を東松山市に開業しチェーン展開を図った。現在グループ店舗を含め全国に約2,200店を展開している。また、ヤオコーは1890年に八百屋「八百幸商店」として創業、1972年町内に1号店を開業、現在関連店舗を含め関東に約180店を展開している。

農業も盛んで、特に下里地区は有機農業の地として知られている。50年ほど前から有機農業を続けている金子美登さんによって地域に浸透、「霜里農場」でたくさんの研修生を育ててきた。

良質な水や盆地特有の気候が酒づくりに適しているため〝関東灘〟の異名を誇り、町内には3つの酒蔵のほか、ワインやビールの醸造所もある。

2009年には本田技研工業のエンジン工場が進出している。

仙覚律師顕彰碑

仙覚律師顕彰碑

国内最古の歌集「万葉集」の注釈書「万葉集註釈」は小川町で完成したと伝わっている。万葉集の研究をしていた鎌倉時代の僧・仙覚は、読み方のわからなくなっていた152首を読めるようにし、1269年に「万葉集註釈」を完成させた。町内の中城と呼ばれる中世の城跡には偉業を顕彰した碑が建てられている。

名物料理として「忠七めし」や「女郎うなぎ」がある。忠七めしは幕末から明治初期にかけて活躍した山岡鉄舟が割烹旅館二葉に作らせたものと伝えられている。また女郎うなぎは、割烹旅館福助が吉原の遊女の面倒を見たことからその元遊女の生家に伝わる秘伝のタレが伝授され、「女郎うなぎ」として名物になったとされている。どちらも現在各店で提供されている。

町の全景

町の全景

都心から約60㎞に位置し、面積は60・36㎢。

緑豊かな外秩父の山々に囲まれた盆地となっていて、市街地中央には槻川が流れている。美しい山と川の地理的要件、国指定重要文化財などの文化と歴史的要件、和紙などの伝統産業の要件を満たしたことから、1996年に全国京都会議に加盟。町内各所には赴きある建物が点在し、盆地特有の気候が作り出す風情が楽しめることなどから「武蔵の小京都」の愛称で親しまれている。

埼玉伝統工芸会館

埼玉伝統工芸会館

埼玉伝統工芸会館(小川町小川1220 9:00~17:00 月曜休館)では県指定の伝統的手工芸品が展示されていて、年間を通じて多くの人が訪れる。小川町特産和紙の紙すき体験や和紙をはじめとした物産品の販売も行っている。併設する道の駅おがわまちでは、本格的な手打ちうどんとそばが人気。

町を代表するお祭りとしてあげられるのが、毎年夏に開催される「小川町七夕まつり」。特産の和紙で作る七夕飾りが商店街など町内各地に設置され、花火の打ち上げなどもあり、毎年多くの見物客でにぎわう。

小川町七夕まつり

小川町七夕まつり

金子美登さん

金子美登さん

「しまむら」の創業者である島村恒俊さんは経営していた島村呉服店を経営転換、衣料品店「しまむら」を東松山市に開業し、東証1部上場会社にまで大きくした。同じく東証1部上場「ヤオコー」の会長・川野幸夫さんは、家業である八百屋からスーパーマーケットのヤオコーを創業、現在スーパーマーケット協会の会長も務めている。

有機農業の先駆者として知られる金子美登さんは50年ほど前から下里地区で有機農業に取り組んでいる。霜里農場では多くの研修生を指導、同地区全体を一大有機農業の地にした。

若者未来会議

若者未来会議

小川町は、次代の担い手となる若者世代から多様な意見を聞き可能な限り反映していきたいとの思いから、「小川町まち・ひと・しごと創生総合戦略若者未来会議」を令和元年度に設置。第1期(令和元年度)では、主にシティプロモーションについての提案をとりまとめ町長に伝達。第2期(令和2、3年度)では活動期間を2年間とし、提案だけで終わらせず、小川町をより良くするアイデアをメンバー自身で考え、実現可能な内容は自主的に企画・実践していくことを目指しスタート。町内外の若者16人が2班に分かれ、本年度は企画の実現を目指して活動。同世代の若者へ小川町の魅力を発信するため、町内の飲食店紹介動画やチラシ、町の魅力を紹介するフォトブックの制作を行った。

また、町内の小・中・高生が地域の歴史や文化、産業などを知り、段階的に学びを深めながら地域活動への参画を深めていく「おがわ学」という取り組みも推進。地元への愛着や誇り、地域課題の解決に取り組む能力を育むことを目的としている。

小川町のデータ

嵐山町地図
人口 28,602人(令和4年2月1日現在)
世帯数 13,018(令和4年2月1日現在)
面積 60.36㎢
総生産額 777億800万円(平成30年度)

取材協力:小川町