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2022年6月24日 記事掲載

埼北市町村ガイド

埼北よみうり配布エリアの22市町村を順に紹介していく連載コーナー。歴史、文化、地理、産業、観光など、各市町村の特色を掲載いたします。

Vol.15 皆野町

秩父音頭まつり

皆野の歴史は、遺跡に見られる自然の洞穴や岩陰を利用した痕跡から縄文時代早期へと遡る。古墳時代には、郡内で最も古い段階にあたる6世紀第三四半期の埴輪が発見された金崎の天神塚古墳が造成されている。

平安時代から続く古刹・円福寺は、平将門の弟・将平が創建し、鎌倉時代に活躍した畠山重忠の父・重能が中興したと伝わる。境内には、将平と重能をまつったといわれる墓がある。

戦国時代は、小田原北条氏が進出し、1590(天正18)年からは徳川氏の領地となった。王政復古とともに忍藩知事の支配に入り、廃藩置県で入間県に転じ、1876(明治9)年には埼玉県の管轄になった。

1928(昭和3)年には町制を施行し、43(昭和18)年に近隣5村と白鳥村の一部とで合併し美野町となったが、戦後間もなく解体して1町5村に分離。 55(昭和30)年に皆野町、国神村、金沢村、日野沢村が合併し、57(昭和32)年に三沢村を編入合併して現在に至っている。

天神塚古墳・石室

町を構成する旧村々は、秩父盆地の北縁に連なり、米の栽培には不向きな土壌だった反面、桑の栽培に適し養蚕業が発展した。織物も農家の副業として織られ、とりわけ旧三沢村では「三沢格子」と呼ばれる柄物の生産で名声を博した。

現在では、農道整備や施設整備事業などを実施し、ブドウ・キノコ類を中心とした観光農業が脚光を浴びている。新たに、加熱すると渋皮がぽろっとむける栗「ぽろたん」の栽培にも取り組み、2015(平成27)年から特産品として販売がスタートした。

農家などが作物を加工し、販売までを手がける第六次産業化の推進にも力を注ぎ、在来種の粉用トウモロコシを栽培・加工し、和・洋菓子などにして販売する「金沢たたらの里加工センター」の取り組みが先駆けとなっている。

新たな特産品「皆野のぽろたん」

秩父音頭まつりで打ち上げられる花火

県を代表する民謡「秩父音頭」の発祥の地として知られる。昭和初期、地元の俳人・金子伊昔紅が盆踊りの再構成に着手し、秩父の風土や人々の心意気を唄と振り付けに盛り込んだ。

歌詞は「七・七・七・五」の句からなり、伊昔紅が詠んだ句と公募作で構成。囃子は、秩父屋台囃子と同様に大太鼓・小太鼓・横笛・鉦が打ち鳴らされる。

1930(昭和5)年、明治神宮鎮座10周年記念祭に「秩父豊年踊り」として奉納され、原型が誕生。町最大の祭り「秩父音頭まつり」は、同年8月に地元の円明寺で町民らにお披露目されたことがルーツとされ、町の花であるネムノキにちなみ「合歓の盆」と親しまれている。毎年8月14日、70組1600人以上の参加者が一糸乱れぬ見事な踊りを披露する。

紙の旗を持った行列が練り歩いて害虫や悪疫を送り出す「門平の虫送り」、中山道から秩父へ入る玄関口の宿場町としてにぎわった出牛地区に伝わる「出牛人形浄瑠璃」、「椋神社の獅子舞」、「下三沢諏訪神社獅子舞」など県の文化財に指定される行事・催しを始め、多くの伝統文化が受け継がれている。

山々に抱かれる町の中心地

県の西北部、秩父郡の東北に位置し、面積は63.74㎢。大部分は山林で占められ、蓑山・大霧山・皇鈴山など500mから1,000m余の山々に抱かれる。中央部約25%の平坦地が町の中心を形成している。合間を縫うように荒川が流れ、支流の赤平川・日野沢川・三沢川が注いでいる。

町の中央には、国道140号と秩父鉄道が走り、国道140号皆野寄居バイパス、県道10路線が通じる交通の要衝となっている。都心からは80㎞圏域にあり、鉄道利用で2時間ほどで連絡している。

蓑山山頂の美の山公園

「花と自然のまち」と称され、桜・ヤマツツジ・アジサイ・紅葉と四季折々の表情を見せる秩父地域唯一の独立峰「蓑山」、風そよぐ初夏の高原を赤色に染め上げる彩の国ふれあい牧場の「天空のポピー」など花の名所が町内各所に点在。直線的に流れ落ちる姿が美しい落差約12mの「秩父華厳の滝」、樹齢700年以上といわれる「国神の大銀杏」と迫力ある自然の風景が満喫できる。

城峯山・破風山・大霧山・蓑山・宝登山など2時間前後で登れるハイキングコースが充実し、日本百観音の結願寺である札所三十四番・水潜寺とその懐に湧く秩父温泉・満願の湯など豊富な観光資源に恵まれている。

天空のポピー

札所三十四番・水潜寺

金子兜太さん

現代俳句協会の名誉会長に就いた俳人・金子兜太さん(1919~2018年)は、秩父音頭の生みの親・金子伊昔紅の長男として皆野で育ち、「産土」と呼んで地元を愛した。町内各地には句碑が残されている。

ドラマ化・アニメ化され、一大ブームを巻き起こした「のだめカンタービレ」などのヒット作を手がける漫画家・二ノ宮知子さんは、町内で生まれ育ち観光大使に委嘱されている。

 

海外出身の地域おこし協力隊員

「笑顔あふれる町・誇りを持てる町・若者が戻ってくる、活力と魅力あふれる町」を目指す姿として掲げる。豊かな経済、人材育成、安心安全、健康・心の豊かさ、持続可能な町づくりを推進していく。

 

先進的な取り組みとしては、カザフスタン共和国出身の地域おこし協力隊員らを迎え、多彩な視点で町の魅力を発信。昨年には、リモートワークなどに活用できるサテライトオフィスが町内2か所に開設された。

未来を担う子どもたちには、ふるさと教育「みなの学」を通じて郷土を愛する心を育み、海外の人に対しても町の魅力を自分の言葉で発信できるよう学習内容を充実していきたいとしている。

皆野町のデータ

人口 9,329人(令和4年6月1日現在)
世帯数 3,999(令和4年6月1日現在)
面積 63.74㎢
総生産額 282億1200万円(平成30年度)

取材協力:皆野町

皆野町地図

Copyright © saihokuyomiuri.

埼北よみうり新聞

2022年6月24日 記事掲載

埼北市町村ガイド

Vol.15 皆野町

秩父音頭まつり

皆野の歴史は、遺跡に見られる自然の洞穴や岩陰を利用した痕跡から縄文時代早期へと遡る。古墳時代には、郡内で最も古い段階にあたる6世紀第三四半期の埴輪が発見された金崎の天神塚古墳が造成されている。

平安時代から続く古刹・円福寺は、平将門の弟・将平が創建し、鎌倉時代に活躍した畠山重忠の父・重能が中興したと伝わる。境内には、将平と重能をまつったといわれる墓がある。

戦国時代は、小田原北条氏が進出し、1590(天正18)年からは徳川氏の領地となった。王政復古とともに忍藩知事の支配に入り、廃藩置県で入間県に転じ、1876(明治9)年には埼玉県の管轄になった。

1928(昭和3)年には町制を施行し、43(昭和18)年に近隣5村と白鳥村の一部とで合併し美野町となったが、戦後間もなく解体して1町5村に分離。 55(昭和30)年に皆野町、国神村、金沢村、日野沢村が合併し、57(昭和32)年に三沢村を編入合併して現在に至っている。

天神塚古墳・石室

町を構成する旧村々は、秩父盆地の北縁に連なり、米の栽培には不向きな土壌だった反面、桑の栽培に適し養蚕業が発展した。織物も農家の副業として織られ、とりわけ旧三沢村では「三沢格子」と呼ばれる柄物の生産で名声を博した。

現在では、農道整備や施設整備事業などを実施し、ブドウ・キノコ類を中心とした観光農業が脚光を浴びている。新たに、加熱すると渋皮がぽろっとむける栗「ぽろたん」の栽培にも取り組み、2015(平成27)年から特産品として販売がスタートした。

農家などが作物を加工し、販売までを手がける第六次産業化の推進にも力を注ぎ、在来種の粉用トウモロコシを栽培・加工し、和・洋菓子などにして販売する「金沢たたらの里加工センター」の取り組みが先駆けとなっている。

新たな特産品「皆野のぽろたん」

秩父音頭まつりで打ち上げられる花火

県を代表する民謡「秩父音頭」の発祥の地として知られる。昭和初期、地元の俳人・金子伊昔紅が盆踊りの再構成に着手し、秩父の風土や人々の心意気を唄と振り付けに盛り込んだ。

歌詞は「七・七・七・五」の句からなり、伊昔紅が詠んだ句と公募作で構成。囃子は、秩父屋台囃子と同様に大太鼓・小太鼓・横笛・鉦が打ち鳴らされる。

1930(昭和5)年、明治神宮鎮座10周年記念祭に「秩父豊年踊り」として奉納され、原型が誕生。町最大の祭り「秩父音頭まつり」は、同年8月に地元の円明寺で町民らにお披露目されたことがルーツとされ、町の花であるネムノキにちなみ「合歓の盆」と親しまれている。毎年8月14日、70組1600人以上の参加者が一糸乱れぬ見事な踊りを披露する。

紙の旗を持った行列が練り歩いて害虫や悪疫を送り出す「門平の虫送り」、中山道から秩父へ入る玄関口の宿場町としてにぎわった出牛地区に伝わる「出牛人形浄瑠璃」、「椋神社の獅子舞」、「下三沢諏訪神社獅子舞」など県の文化財に指定される行事・催しを始め、多くの伝統文化が受け継がれている。

山々に抱かれる町の中心地

県の西北部、秩父郡の東北に位置し、面積は63.74㎢。大部分は山林で占められ、蓑山・大霧山・皇鈴山など500mから1,000m余の山々に抱かれる。中央部約25%の平坦地が町の中心を形成している。合間を縫うように荒川が流れ、支流の赤平川・日野沢川・三沢川が注いでいる。

町の中央には、国道140号と秩父鉄道が走り、国道140号皆野寄居バイパス、県道10路線が通じる交通の要衝となっている。都心からは80㎞圏域にあり、鉄道利用で2時間ほどで連絡している。

蓑山山頂の美の山公園

「花と自然のまち」と称され、桜・ヤマツツジ・アジサイ・紅葉と四季折々の表情を見せる秩父地域唯一の独立峰「蓑山」、風そよぐ初夏の高原を赤色に染め上げる彩の国ふれあい牧場の「天空のポピー」など花の名所が町内各所に点在。直線的に流れ落ちる姿が美しい落差約12mの「秩父華厳の滝」、樹齢700年以上といわれる「国神の大銀杏」と迫力ある自然の風景が満喫できる。

城峯山・破風山・大霧山・蓑山・宝登山など2時間前後で登れるハイキングコースが充実し、日本百観音の結願寺である札所三十四番・水潜寺とその懐に湧く秩父温泉・満願の湯など豊富な観光資源に恵まれている。

天空のポピー

札所三十四番・水潜寺

金子兜太さん

現代俳句協会の名誉会長に就いた俳人・金子兜太さん(1919~2018年)は、秩父音頭の生みの親・金子伊昔紅の長男として皆野で育ち、「産土」と呼んで地元を愛した。町内各地には句碑が残されている。

ドラマ化・アニメ化され、一大ブームを巻き起こした「のだめカンタービレ」などのヒット作を手がける漫画家・二ノ宮知子さんは、町内で生まれ育ち観光大使に委嘱されている。

海外出身の地域おこし協力隊員

「笑顔あふれる町・誇りを持てる町・若者が戻ってくる、活力と魅力あふれる町」を目指す姿として掲げる。豊かな経済、人材育成、安心安全、健康・心の豊かさ、持続可能な町づくりを推進していく。

 

先進的な取り組みとしては、カザフスタン共和国出身の地域おこし協力隊員らを迎え、多彩な視点で町の魅力を発信。昨年には、リモートワークなどに活用できるサテライトオフィスが町内2か所に開設された。

未来を担う子どもたちには、ふるさと教育「みなの学」を通じて郷土を愛する心を育み、海外の人に対しても町の魅力を自分の言葉で発信できるよう学習内容を充実していきたいとしている。

皆野町のデータ

皆野町地図
人口 9,329人(令和4年5月1日現在)
世帯数 3,999(令和4年6月1日現在)
面積 63.74㎢
総生産額 282億1200万円(平成30年度)

取材協力:皆野町