2021/5/14 掲載記事
「埼玉ゆかりの三偉人」と称される塙保己一(本庄市出身)と渋沢栄一(深谷市出身)をテーマにした講演会が4月24日、本庄市民文化会館であった。本庄市の塙保己一没後200周年記念事業の一つで、保己一の偉業顕彰を続ける公益社団法人温故学会の齊藤幸一理事長が、両偉人の生涯と関係について語った。
保己一は、1746(延享3)年に児玉郡保木野村(現本庄市児玉町保木野)に生まれた。7歳の頃に病で失明するも学問の道へ進み、散逸・焼失の恐れのあった貴重な文献をまとめた「群書類従」を編さん。国学の研究拠点「和学講談所」の開設、視覚障害者の互助組織「当道座」の最高責任者で大名格の総検校を務めるなど多くの偉業を成し遂げた。齊藤理事長は、「保己一は、出版社の社長、大学の学長、福祉団体の代表から幕府との交渉人までをこなしました。群書類従は、現在でも古代・中世の研究に欠かせない文献となっています」と解説した。
約500社の設立・運営に関与した実業家の栄一は、70歳で財界を引退すると社会公共福祉事業に専念した。温故学会の設立時には維持会員となり、群書類従の販売や温故学会会館の建設に力添えをした。
講演の結びには、『いかなる困難も、精神を集中させることで、成し遂げることができる』と、温故学会会館の開館式で栄一が述べた式辞を紹介。「2人は、この言葉のような生き様をしていて、(栄一は保己一の)生涯に共感することがあったのだと思います」と締めくくった。
写真1:栄一と温故学会の関係を語る
写真2:温故学会・齊藤理事長
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2021/5/14 掲載記事
「埼玉ゆかりの三偉人」と称される塙保己一(本庄市出身)と渋沢栄一(深谷市出身)をテーマにした講演会が4月24日、本庄市民文化会館であった。本庄市の塙保己一没後200周年記念事業の一つで、保己一の偉業顕彰を続ける公益社団法人温故学会の齊藤幸一理事長が、両偉人の生涯と関係について語った。
保己一は、1746(延享3)年に児玉郡保木野村(現本庄市児玉町保木野)に生まれた。7歳の頃に病で失明するも学問の道へ進み、散逸・焼失の恐れのあった貴重な文献をまとめた「群書類従」を編さん。国学の研究拠点「和学講談所」の開設、視覚障害者の互助組織「当道座」の最高責任者で大名格の総検校を務めるなど多くの偉業を成し遂げた。齊藤理事長は、「保己一は、出版社の社長、大学の学長、福祉団体の代表から幕府との交渉人までをこなしました。群書類従は、現在でも古代・中世の研究に欠かせない文献となっています」と解説した。
約500社の設立・運営に関与した実業家の栄一は、70歳で財界を引退すると社会公共福祉事業に専念した。温故学会の設立時には維持会員となり、群書類従の販売や温故学会会館の建設に力添えをした。
講演の結びには、『いかなる困難も、精神を集中させることで、成し遂げることができる』と、温故学会会館の開館式で栄一が述べた式辞を紹介。「2人は、この言葉のような生き様をしていて、(栄一は保己一の)生涯に共感することがあったのだと思います」と締めくくった。
写真1:栄一と温故学会の関係を語る
写真2:温故学会・齊藤理事長
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