2023/8/25 掲載記事
慰霊や平和の願い込め
終戦前夜の「熊谷空襲」で犠牲になった人々を慰霊する灯籠流しが16日夜、熊谷市中心街を流れる星川で行われた。
1945年8月14日夜の熊谷空襲では大量の焼夷弾により市街地の大半が焼失、266人が犠牲となった。火から逃れようと星川に飛びこみ命を落とした人も多くいた。灯籠流しは遺族らで構成される星川保勝会が中心となり50年から開催、現在は星川とうろう流し実行委員会(藤間憲一会長)が継承している。
この日は多くの老若男女が、灯籠に戦争犠牲者への慰霊や平和への願いを書きこみ、星川に流していった。熊谷市立荒川中1年の福島颯太君は「灯籠を流すのは3回目。熊谷空襲のことは小学生の時に授業で学び、とても悲しい気持ちになりました。戦争がなくなり平和な世界になってほしいという願いをこめて流しました」と話していた。今年も熊谷市立富士見中、荒川中の生徒らが灯籠づくりや販売を手伝った。
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慰霊や平和の願い込め
2023/8/25掲載記事
終戦前夜の「熊谷空襲」で犠牲になった人々を慰霊する灯籠流しが16日夜、熊谷市中心街を流れる星川で行われた。
1945年8月14日夜の熊谷空襲では大量の焼夷弾により市街地の大半が焼失、266人が犠牲となった。火から逃れようと星川に飛びこみ命を落とした人も多くいた。灯籠流しは遺族らで構成される星川保勝会が中心となり50年から開催、現在は星川とうろう流し実行委員会(藤間憲一会長)が継承している。
この日は多くの老若男女が、灯籠に戦争犠牲者への慰霊や平和への願いを書きこみ、星川に流していった。熊谷市立荒川中1年の福島颯太君は「灯籠を流すのは3回目。熊谷空襲のことは小学生の時に授業で学び、とても悲しい気持ちになりました。戦争がなくなり平和な世界になってほしいという願いをこめて流しました」と話していた。今年も熊谷市立富士見中、荒川中の生徒らが灯籠づくりや販売を手伝った。